5月8~10日、二年ぶりに沖縄旅行へ行ってきました。
「浦添市美術館」のホームページで、葛飾北斎の「琉球八景」や、「琉球交易港図屏風」の展示があると知り「琉球漆器」の観賞と合わせて初めて訪れたものです。
駐車場から歩いて行く途中で見えた「浦添市美術館」の建物です。
たくさんの塔がそびえ、ヨーロッパや、イスラムの雰囲気を感じます。
かつて異国との交易で栄えた沖縄の伝統を意識して造られたのでしょうか。
早々と梅雨入りした沖縄の初日は、幸いにも曇りでした。
「浦添市美術館」の玄関は、建物の間を通り、階段を上がって行きます。
階段の上に高い塔がそびえ、アプローチの景色はとても素敵です。
玄関は、一階とされており、撮影場所の頭上には一階の渡り廊下が架かっています。
階段の右手に美しい花芭蕉が咲いていました。
5月の沖縄本島は、初めてで、この花芭蕉も初めて見ました。
沖縄本島の3日間は、花芭蕉の他、月桃[ゲットウ]や、テッポウユリの白い花が各所で見られ、梅雨の沖縄の魅力とも言えます。
「浦添市美術館」のパンフレットにあった建物の一階配置図です。
向って左から渡り廊下をくぐり、「1 受付案内」と書かれた上が玄関です。
常設展示は左上5-1~5の部屋、企画展示は4-1~3の部屋です。
建物は、地階、二階がありましたが、展示は一階だけのようです。
「浦添市美術館」の入場券です。
たくさんの塔を一望する建物の写真と、周囲の図柄は、琉球漆器のものでしょうか。
この写真を上段の平面図で見ると、中央のスリムな塔は6-4(右端)、左手の塔は受付案内のある右下のブロックと思われます。
「浦添市美術館」の玄関に貼り出されていた企画展のポスターです。
いよいよ期待していた展示が見られると心がはやりました。
下に「観覧料 無料」とありますが、企画展の料金が無料の意味のようです。
しかし、充実した展示内容で、観覧料 一般 150円は恐縮する安さです。
頂いた「浦添市美術館」のパンフレットにあった「琉球交易港図屏風」(部分)で、六曲の屏風で、内側の四曲の部分が載っています。
かつて琉球王朝は、中国の明・清帝国の冊封体制下にもあり、数年毎に「進貢使」を派遣、皇帝に献上品を奉げ、多くの下賜品を持ち帰っていました。(江戸幕府-薩摩藩の支配下でもあった)
この図は、「進貢使」が中国から帰国して賑わう那覇港の様子を描いたものです。
真っ先にこの屏風がある廊下に面した長い展示場所に行きましたが、見上げる高さの迫力ある屏風絵でした。
同様の屏風絵は、沖縄県立博物館や、京都大学、滋賀大学の博物館にも残されているようです。
このブログで2008年08月に掲載した<那覇港の城塞「三重城」>に「沖縄貿易図屏風」(滋賀大学蔵)の一部がありますが、ほぼ同じ絵のようです。
管内で頂いた資料に載っていた「琉球交易港図屏風」六曲一隻(19世紀)の内、向って左三曲です。
中央上の船は、「接貢」の旗が掲げられ、「進貢使」を中国に迎えに行き帰国した「進貢船」のようです。
この3本マストの船には、「接貢」の旗の他、白地に赤い日ノ丸の旗、黒地に白く北斗七星のような図が描かれており、未だ謎です。
その船の下には懸命に競うハーリー舟や、丸に十字の薩摩の旗を掲げる船も見えます。
「琉球交易港図屏風」六曲一隻(19世紀)の内、向って右三曲です。
向って左下の船には「旨捧帰国」の旗が掲げられ、「進貢使」を中国に送って行き、帰国した「進貢船」のようです。
左下隅には三重城の先端が見え、中央やや下には波上宮も見えています。
右上には首里城が描かれ、右下には馬に乗る人、日傘をさす人などが活き活きと描かれています。
名護市の「ホテルゆがふいんおきなわ」の二階レストランの入口に「進貢船」の模型が展示されていました。
実物は、全長約40mあるようですが、この模型は1mを超える程度の大きさで、黄色い旗には屏風絵にもあった「旨捧帰国」の文字が見えます。
「浦添市美術館」の屏風が撮影禁止だっただけに、とても有難い展示でした。
又、沖縄海洋博公園の海洋文化館にも大きな模型が展示されていますが、やはり撮影禁止でした。
模型「進貢船」の先端です。
龍の顔でしょうか、シーサーの顔にも見えます。
船体に描かれた白い目と共に、船の安全を祈るおまじないと思われます。
「進貢船」の模型を後ろから見た写真です。
船体の後部には大きな鳥が翼を広げ、太陽も描かれていました。
マストの上には日の丸の旗も見えます。(間違いでした→黄色に赤丸の旗で、日章旗ではありません、コメントを頂き、気が付きました-2011/2/28追記)
写真を撮っていたらレストランの女性から親切な申し出があり、船の横で妻と並んだ記念写真を撮って頂きました。
名護市「ホテルゆがふいんおきなわ」に2泊し、このレストランでのバイキングの朝食も満足でした。
大変、お世話になりました。
「浦添市美術館」のホームページで、葛飾北斎の「琉球八景」や、「琉球交易港図屏風」の展示があると知り「琉球漆器」の観賞と合わせて初めて訪れたものです。
駐車場から歩いて行く途中で見えた「浦添市美術館」の建物です。
たくさんの塔がそびえ、ヨーロッパや、イスラムの雰囲気を感じます。
かつて異国との交易で栄えた沖縄の伝統を意識して造られたのでしょうか。
早々と梅雨入りした沖縄の初日は、幸いにも曇りでした。
「浦添市美術館」の玄関は、建物の間を通り、階段を上がって行きます。
階段の上に高い塔がそびえ、アプローチの景色はとても素敵です。
玄関は、一階とされており、撮影場所の頭上には一階の渡り廊下が架かっています。
階段の右手に美しい花芭蕉が咲いていました。
5月の沖縄本島は、初めてで、この花芭蕉も初めて見ました。
沖縄本島の3日間は、花芭蕉の他、月桃[ゲットウ]や、テッポウユリの白い花が各所で見られ、梅雨の沖縄の魅力とも言えます。
「浦添市美術館」のパンフレットにあった建物の一階配置図です。
向って左から渡り廊下をくぐり、「1 受付案内」と書かれた上が玄関です。
常設展示は左上5-1~5の部屋、企画展示は4-1~3の部屋です。
建物は、地階、二階がありましたが、展示は一階だけのようです。
「浦添市美術館」の入場券です。
たくさんの塔を一望する建物の写真と、周囲の図柄は、琉球漆器のものでしょうか。
この写真を上段の平面図で見ると、中央のスリムな塔は6-4(右端)、左手の塔は受付案内のある右下のブロックと思われます。
「浦添市美術館」の玄関に貼り出されていた企画展のポスターです。
いよいよ期待していた展示が見られると心がはやりました。
下に「観覧料 無料」とありますが、企画展の料金が無料の意味のようです。
しかし、充実した展示内容で、観覧料 一般 150円は恐縮する安さです。
頂いた「浦添市美術館」のパンフレットにあった「琉球交易港図屏風」(部分)で、六曲の屏風で、内側の四曲の部分が載っています。
かつて琉球王朝は、中国の明・清帝国の冊封体制下にもあり、数年毎に「進貢使」を派遣、皇帝に献上品を奉げ、多くの下賜品を持ち帰っていました。(江戸幕府-薩摩藩の支配下でもあった)
この図は、「進貢使」が中国から帰国して賑わう那覇港の様子を描いたものです。
真っ先にこの屏風がある廊下に面した長い展示場所に行きましたが、見上げる高さの迫力ある屏風絵でした。
同様の屏風絵は、沖縄県立博物館や、京都大学、滋賀大学の博物館にも残されているようです。
このブログで2008年08月に掲載した<那覇港の城塞「三重城」>に「沖縄貿易図屏風」(滋賀大学蔵)の一部がありますが、ほぼ同じ絵のようです。
管内で頂いた資料に載っていた「琉球交易港図屏風」六曲一隻(19世紀)の内、向って左三曲です。
中央上の船は、「接貢」の旗が掲げられ、「進貢使」を中国に迎えに行き帰国した「進貢船」のようです。
この3本マストの船には、「接貢」の旗の他、白地に赤い日ノ丸の旗、黒地に白く北斗七星のような図が描かれており、未だ謎です。
その船の下には懸命に競うハーリー舟や、丸に十字の薩摩の旗を掲げる船も見えます。
「琉球交易港図屏風」六曲一隻(19世紀)の内、向って右三曲です。
向って左下の船には「旨捧帰国」の旗が掲げられ、「進貢使」を中国に送って行き、帰国した「進貢船」のようです。
左下隅には三重城の先端が見え、中央やや下には波上宮も見えています。
右上には首里城が描かれ、右下には馬に乗る人、日傘をさす人などが活き活きと描かれています。
名護市の「ホテルゆがふいんおきなわ」の二階レストランの入口に「進貢船」の模型が展示されていました。
実物は、全長約40mあるようですが、この模型は1mを超える程度の大きさで、黄色い旗には屏風絵にもあった「旨捧帰国」の文字が見えます。
「浦添市美術館」の屏風が撮影禁止だっただけに、とても有難い展示でした。
又、沖縄海洋博公園の海洋文化館にも大きな模型が展示されていますが、やはり撮影禁止でした。
模型「進貢船」の先端です。
龍の顔でしょうか、シーサーの顔にも見えます。
船体に描かれた白い目と共に、船の安全を祈るおまじないと思われます。
「進貢船」の模型を後ろから見た写真です。
船体の後部には大きな鳥が翼を広げ、太陽も描かれていました。
マストの上には日の丸の旗も見えます。(間違いでした→黄色に赤丸の旗で、日章旗ではありません、コメントを頂き、気が付きました-2011/2/28追記)
写真を撮っていたらレストランの女性から親切な申し出があり、船の横で妻と並んだ記念写真を撮って頂きました。
名護市「ホテルゆがふいんおきなわ」に2泊し、このレストランでのバイキングの朝食も満足でした。
大変、お世話になりました。
その三角の旗は白地赤丸ではなく、黄地赤丸です
模型はその旗を白地にして、日章旗に誤解されたはずだ、でもその旗は日本に関係ないんはずです。(その長方形の旗は日本と関係があるといえばまた理解できるけど)
実はその黄地赤丸の旗は明時代から中国で広く使われたものです
その時代の絵を見れば、城から船までどこでもその旗の姿が見つける、
だが、その旗はいったいどういう意味かわからないんです、いまはこの謎を解くためにネットで探しています
sakura7431@gmail.com
ご指摘の通り、誤解していました。
さっそく記事の訂正をします。
づっと調べていらっしゃったこと、敬服します。
私も図書館で、清時代の「進貢船」の旗についての情報を探してみたいと思います。
この旗のことあは歴史全体に対してそんなに大切なことではないけど、何となく解けたいです
中国側でこういう細かしいことに関する資料は極めて少ないため、わたくしは日本や隣の国から情報をまとめています
歴史は読まれるだけではなく、見られるものにしてほしいです
ははっ、また新しい情報を見つけたらまたコメントします~