昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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東シナ海の断崖に建つ「具志川城」からの眺望

2008年08月14日 | 沖縄の旅
「白銀堂」から海岸沿いに南に進み糸満市喜屋武具志川原にある「具志川城(ぐしかわぐすく)」へ行きました。



沖縄本島の南西端に近い「喜屋武岬(きやんみさき)」付近の地図です。
「具志川城」は、「喜屋武岬」のすぐ西の海岸にあります。
断崖の海岸が海に張り出した場所で、北側以外の東西南の三方は自然の断崖に守られる構造になっているようです。



具志川城の入口で、車は、付近の道端に駐車して行きました。
「史跡 具志川城跡」と刻まれた石碑があり、向って左奥に向かう道を進むとすぐに「具志川城」の城門跡が見えてきます。

■写真に向かって右端にある「具志川城跡」の案内板を転記します。
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史跡 具志川城跡
昭和47年5月15日 国指定
この城は、断崖の付け根のところに城門があり、そこから一段下がって二の丸、さらに一段下がって本丸が海に突き出ています。石垣は珊瑚性石灰岩の野面積みですが、門の部分には、切石を用いた痕跡が残っています。城の規模は、長さが東西82~3メートル、南北の巾は二の丸で33メートル、本丸で16~7メートルです。二の丸には穴(俗に「火吹き穴」)があって海に通じています。
久米島の伝説によれば、この城は久米島の具志川城主真金声(まかねくい)按司が伊敷索(いしきなわ)按司の二男真仁古樽(まにくたる)に攻められて落城し、島を脱出して本島に逃れ、故郷と同じ名の具志川城を築いたといわれます。その真偽は不明ですが双方の立地や規模、構造はよく似ています。
沖縄県教育委員会
昭和53年3月31日
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この説明文に「城門があり、そこから一段下がって二の丸、さらに一段下がって本丸」とありますが、一般的な解説では「城門 → 一の郭 → 二の郭」と奥に進む説明がされて一、二が逆になっています。
「丸」と「郭」の違いのためでしょうか?



道を進むと二つの石垣の山があり、東北に向いて築かれていた「具志川城」の城門跡のようです。
城壁は、かなりの厚さがあり、立派な城門が築かれていたものと思われます。

案内板には「垣は珊瑚性石灰岩の野面積みですが、門の部分には、切石を用いた痕跡が残っています。」と書かれていましたが、切石の部分はよく分かりませんでした。

飛行機が北に向かっていました。
那覇空港へ到着するものと思われます。



具志川城の東側の城壁で、「一の郭」の東側の城壁を南から見た様子です。

奥の城壁で高くなっている所が城門跡で、その後ろに緑の岩壁が東に延びています。

城門以外で、断崖に沿って造られている城壁の高さは、他のグスクと比較にならない低さです。
落下防止や、海辺の風除け程度の機能があれば充分ということでしょうね。



城門を入ると「一の郭」で、中央付近に囲いがあり、その中に「火吹き穴(ヒーフチミー)」がありました。

断崖の下まで穴が続いているようですが、穴が作られた目的には諸説があるそうです。
陸地側から敵に囲まれて攻められた場合、外部ヘの連絡通路がなかったら全滅となる危険性を避けることではなかったかと推察しています。

写真の後ろに見える石垣は、門から西に延びた城壁の様子です。
陸地に面した城壁は約5mと高く作られ、防御を固めていたようです。



柵に挟まれた道から先が、海に突き出た城の先端「二の郭」で、西側の城壁が続いています。

「二の郭」は、先端に行くほど低くなっています。



一段上の写真とほぼ同じ場所から「二の郭」の東側を見た景色です。
断崖の縁に沿って石垣が蛇行し、上下に波打つように築かれています。

下の海までかなりの高さがあり、武器を持って攻め登ることなどとても無理のようです。



「二の郭」の東側の端に小さな石碑のようなものがありました。
向って左には「久米門中 具志川アンジ」、向って右には「久米門中 女ノ子」と刻まれています。
中央にはコンクリートでお供えを置くための台が作られています。

別の場所に同じような形の石碑があり、「久米門・・ ミチム・・」と刻まれ、文字の下部から石碑が折れて読めませんでした。
その前にコンクリートブロックが2個並べられていました。

ふと、3個のコンクリートブロックを三角形に並べて海の彼方の故郷を祈る那覇市の三重城での風習「ジュウルクニチー」を思い出しました。
久米島の出身者が西の彼方にある故郷の島に向って祈る場所ではないかとも推察出来ますが、記憶では祈る方角が東に向いていたようで、いま一つ分かりません。



「一の郭」から東の「喜屋武岬」方向を見た景色です。
断崖の下の海岸に巨大な岩が並び、とても雄大な景色でした。

海岸には2~3人の人が歩いているのが見えました。



「二の郭」から西の海岸を見た景色です。
断崖のすぐ西側には裾を波で削られた巨大な岩があります。

東西に長く伸びている海岸の景色はとにかく最高でした。



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