昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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北海道旅行No.21 黄金道路の「フンベの滝」

2011年09月09日 | 北海道の旅
北海道旅行4日目 6/6(月)、釧路市のホテルから襟裳岬を目指し、広大な十勝平野を過ぎると、国道336号は、海岸沿いを南下する別名「黄金道路」と呼ばれる道になります。



十勝平野の南端「広尾町」の町並みから「黄金道路」を1Km少々南下した道路脇にある「フンベの滝」です。

海岸沿いの道路脇に岩場を落ちる小さくてきれいな滝です。

「フンベ」とは、アイヌ語で「鯨」のことだそうで、この辺りで鯨にまつわる印象的な出来事でもあったのかも知れません。



北海道中央南部の地図です。

「フンベの滝」や、南の襟裳岬へ続く日高山脈が見られます。



南側から見た「フンベの滝」の風景です。

滝の前は道路が少し広くなり、案内板や、石碑などがありました。

勢いよく流れ出る滝の水が、あまり高くない岩の丘から出ており、水源となるエリアは後方の広いエリアにあるものと思われます。



「フンベの滝」のそばにあった案内板です。

■案内板には襟裳岬へ通じる黄金道路や、日高山脈の地図が描かれ、説明文がありました。
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日高山脈と黄金道路
日高山脈は、南北140Kmに及ぶ北海道の背骨をなす大山脈で、ヒマラヤやアルプスと同じ頃、その骨格が組み立てられました。幌尻岳(2,052m)を最高経とし.カムイエクウチカウシ山、ペテガリ岳など、1,500~2,000m級の山なみが連なり、襟裳岬の岩礁となっ 太平洋に没します。また、広尾町とえりも町庶野にかけての33Kmは、きり立った崖の連続であり、特異な風景を造り出しています。
当地の道路は、寛政10年(1798年)近藤重蔵らが山路を開いたことに始まり、その後、本格的には昭和2年から昭和9年にかけ、絶壁と岩礁の中、多大の費用をついやして完成したものです。
このことから、この道路は通称「黄金道路」と呼ばれています。
 ここの「フンベの滝」は砂礫層を浸透した水が下部の岩盤上を流れ、この崖地で表面に流出しているものであり、年中枯れることなく、夏は涼感を漂わせるとともに、冬には大きな氷の造形美が見られます。(フンベ:アイヌ語で鯨の意味)
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正面から見た「フンベの滝」です。

「フンベの滝」の流れは、岩場の上から続いているようです。

右手の岩の斜面にも細い水の流れがあり、この辺りは丘の上一帯の水が流れ出る低い場所のようです。



「フンベの滝」周辺の地形図です。

岩場の上は平らな丘が広がり、滝の上には地表に短い流れが見えます。

「フンベの滝」の南北側には岩場の海岸が続き、すぐ北にはトンネルもありました。

道路の両脇に駐車できるスペースがあり、車での見物には困りません。



「日高山脈襟裳国定公園 フンベの滝」と書かれた立て札のすぐ横に不動尊像があり、その隣には「海難供養碑」がありました。

「海難供養碑」はあまり古くなく、漁などで亡くなった人たちの供養のためのものだったのでしょうか。

剣を持って立つ不動尊は、荒れ狂う海の魔物を鎮め、亡くなった人々の成仏を願っているようにも思われます。



上段の写真の向かって左側にも「地蔵尊」と、墓のような形の「海難碑」が建っていました。

地蔵尊や、不動尊にはローソクや、お茶が供えられ、最近造り直されたと思われる「海難碑」の上部を見ると、厚い信仰と、慰霊の行事が永く続いていることがうかがわれます。



海岸を背に「フンベの滝」を撮影する人がいました。

海岸の向こうの丘に少しモヤがかかっているのが見えます。

小さく、迫力のない滝ですが、どこか親しみを感じました。


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