光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
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趣味の原点をふり返る・46・機関士のおじさんの話

2016-08-25 05:48:47 | 趣味の原点をふり返る
 昨年来、折に触れて紹介してきている「模型工作別冊・鉄道模型工作ガイドブックに関連して。
 私のこの本を譲ってくれた親類のおじさんの話をします。
 というのも本書の印象は本そのものも去る事ながらこれを基にいくつか車輛を自作していた小父さんの思い出もかなり重なっているからです。
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 この小父さんと言うのが当時国鉄勤務の運転士で以前は蒸機、その後はED75の乗務を主にやっておられました。

 当然の様に住まいも機関区に隣接していた国鉄アパート。
 そのお蔭でまだ石炭の燃え殻の匂いが残っていた機関区やその周辺を散策させてもらえたのも今となっては有難い思い出です。
 (とはいえマニアックな観点でなく国鉄職員やその家族の生活なんかのイメージが強く、いまでも「機関区」と聞いて真っ先に連想するのが扇形庫でも給炭塔でもなく「物資部」だったりするから何ともです)

 当時のTMSやとれいんなんかを紐解くと「鉄道職員の作った模型」なんて記事によく当たる様にあの当時は運転士や機関士が鉄道模型に手を染めているケースは結構あったように思います。
 そういえば機関区の周辺には鉄道模型を扱う模型屋が1,2軒ありましたし、その内の1軒は私がNゲージに手を染めるきっかけとなった店だったりします。

 事実この時期に小父さんの手元には「模型と工作」が何冊かありましたし、それらをまとめた「鉄道模型工作ガイドブック(つまりこの本)」は小父さんの工作テキストとしてかなり有効に働いていました。
 昭和40年代前半頃が模型製作のピークでしたが、そのお蔭で「鉄道模型」と「国鉄職員」のふたつのイメージがいまだに私の中でダブって感じられるようになっています。

 この本をテキストに小父さんが実際に作ったモデルは私の記憶によれば以下の通りです。

 151系5連(但し全体の雰囲気はキハ81系に近い)
 クハ103(鶯色)
 ナロ10
 ED75を2両。

 これとは別にクハネ583とクモハ475を1両づつ作っていたと記憶しています。
 あの頃は市販のモデルは宮沢模型のBタンク位なもので殆どが小父さん自作の車輛棚の様相を呈していました。
 (以前紹介しているC58とC54は昭和51年の国鉄退職時に購入したものでした)

 それらの車両は当時の国鉄アパートのリビングの壁面にしつらえられた何段かの線路付きの棚に収められていました。

 たまにアパートを訪問した折、線路にこれまた自作品のパワーパックで通電させて棚の上の列車を前後に走らせてもらった記憶は幼心にも鮮烈なものがあります。
 そんな餓鬼が40年を経てNゲージでレイアウトなんて言うものを作ったりするのですから幼少時の影響と言うのは怖いですね。

 本来ならばそれらを写真つきで紹介たいのですが小父さんが10年ほど前に物故された折モデルの大半は処分されてしまい一部の市販モデルだけが後になって私に引き継がれました。

 それらのモデルは市販の完成品とも本書の作例写真とも違う、細密ではない物の一種独特の温かみのある民芸品的なモデルづくりがされており、この点で昨今の鉄道模型の方向性とは異なるものです。
 実は退職後の小父さんが凝っていたのが紙人形をはじめとしたペーパークラフトや帆船模型だったそうで世間の16番モデルの細密志向は元々小父さんの肌には合わなかったようです。