瀬崎祐の本棚

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詩集「水のなかの蛍光体」 岸田裕史 (2020/11) 思潮社

2021-02-02 23:00:26 | 詩集
 第3詩集。107頁に32編を収める。倉橋健一、田中庸介の栞が付く。

 Ⅰ章の作品には馴染みのない単語が頻出してくる。シンクロトロン、ソリトン、スキルミオン・・・。作者にとっては作品成立の磁場のようなものとして不可欠だった言葉であるわけだが、読者にとってはこれらの言葉が意味するものはどのようなことになるのだろうか。作品を読む上でこれらの言葉の理解の必要性について考えてしまうのも確かだ。しかし、作者は無論そのことは承知の上で独自の世界を形づくっているのだろう。

 「あの沼のほとり」。この作品世界もやはり専門的な言葉に支えられている。曰く、「高温プラズマを保持する磁場の限界が近づいている」、「あの沼は電磁誘導体にかこまれた谷間にあった」など。その沼は話者が捨てられてしまう場所のようなのだ。そこでは話者の存在そのものが解体されてしまうようなのだ。そんな沼のほとりに話者はいるのだ。

   湧き水の奥深く
   電離層の割れ目に小さな波紋が拡がっていた
   もう忘れかけていたが あのとき
   ぬるりと制御されたサイクロトロンに身をひたし
   二人で落ちてゆく中性子を見つめていた

現実に対峙する幻想世界は、個人が脳内に作りだす虚構の世界である。電脳世界もまた現実に対峙する虚構世界であるが、前者が非科学的で再現性がないのに比して、後者は科学的で再現性を有している。他者への伝達度という点では後者の方がはるかに強大であるような気がする。そして、それらを言葉の世界で扱ったときにどのようなことになるかが問題となってくる。作者は電脳世界の様式を借りて幻想世界を構築しているのだろう。そこでは雨が降り、水が流れているのだ。それこそが有機体の世界である証左だろう。

Ⅱ章では現実の風景に電脳世界が被せられている。人工的な着色がなされた隅田川や御堂筋の風景の中で、表情を失った人々が蠢いている。
 「水無瀬川」では、誰かを殺そうとしているずぶ濡れの女のあとをつける。女は冷たいプルトニウムを飲み、次第に顔の被膜もはがれていく。

   ここにとどまればわたしの顔もつぶされてしまう
   わたしは波音をたてずに
   川の底へ潜りこみ
   体温が失われてゆく冷たさに耐えた
   そしてそのまま月見橋のたもとへ帰ることにした

 しかしわたしはずぶ濡れの女に川底へ引きずり込まれてしまうのである。Ⅲ章で描写される科学的な実験の場で溶かされ、腐食させられているのは、とりもなおさず「わたし」そのものであるような気がしてきた。
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