瀬崎祐の本棚

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詩集「迎え火」 西浦真奈美 (2024/05) 思潮社

2024-08-07 10:57:26 | 詩集
第1詩集、110頁に34編を収める。詩集の下半分以上を覆う帯には鴨居玲の挿画があしらわれており、峯澤典子の栞(とても濃密な内容である)が付く。

冒頭におかれた「父 サンサシオン」は父を看取る作品。その時が訪れたことは文字通りに理屈や感情以前の匂いとしての感覚で伝わってきたのだ。

   いのちと身体の残渣を
   病ごと出し切ってゆく たった小さなおむつのなかに

これは辛いとか哀しいとかの気持ちがまとう以前のことで、とにかく判ってしまったのだ。それを巧みに捉えた作品だった。
次の「迎え火」では、煙りの松の木の匂いがいつまでも髪に残り「いないものがいるのだな ここに」と思うのだ。

拒食のあなた、過食のあなたも描かれる。本能的な欲望であるはずの食欲が人としての存在の平衡を失ってしまう。そのことに直面することはどれほど辛く切ないことだろうか。

「まなうら」は、「浮遊するまなうらの昏さ/たたえるものを失った薄い耳朶が/あなたへの距離をはかる」という美しい連で始まる。正直なところ、何が詩われているのかはよくつかめなかった。しかし、緩く蛇行するような詩行は心地よく気持ちに響いてくる。詩を読む愉しみは意味を探ることではないのだとあらためて思う。従来の意味などふりすてたところで言葉は新しい”意味”を作るのだろう。この作品の最終連は、

   些末な手のひらの手招き
   私の 越せなかった冬
   その中で
   真似事のように
   木蓮のかたちに凍てついている

詩集最後のあたりには亡くなっていった母が詩われている。詩集はじめでは父の迎え火を一緒に焚いた母だった。最後に置かれた「オラシオン 庭」では母がいつくしんでいた庭の夏草をひいている。

   落陽をむかえれば
   この庭は弔いの庭になり
   あなたはそこに立っている

静かに父母を送る詩集だった。話者は寄り添い、同時に寄り添われている。両者の思いが”祈り”になっていた。
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