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詩集「カフカを読みながら」 丸田麻保子 (2024/07) 思潮社

2024-08-02 20:47:05 | 詩集
7年ぶりの第2詩集か。108頁に26編を収める。

詩集前半の作品には小説や映画に材を求めたものがある。それはムージルの小説「黒つぐみ」であったり、風の吹く映画であったり、ウォン・カーウァイ監督の「欲望の翼」であったりする。また原民喜や永山則夫の名前も出てくる。話者はそれらの材の周りを彷徨いながら次第にその物語の中へ入り込んでいってしまう。そして巧みに自分の周りに新しい世界を構築している。

「お茶の話」ではお茶についての詩を書こうとして茶の字が含まれる名前を調べたりしている。芥川龍之介がお茶が好きだったことに触れ、そして最終部分は、

   思い出すのは寒かったことばかり
   昨日の国立市の最高気温は三度
   職場で
   あたたかい紅茶を入れてくれた人がいました
   飲むのが勿体ないような
   きれいな色でした

話者はいたって真面目に、ときに深刻な内容のことを語るのだが、斜め横のあたりからそれを見てると何故か脱力してくるのである。これは何だろうか。こちらが身構えているのにその入れた力が持って行き場のないものに変えられてしまう。奇妙な魅力を持っている。

「しずかな人たち」。まるで物のような静かさを持った人たちがいるようなのだ。その人たちは人としての気配を感じさせない存在の仕方をしているのだろうか。

   だれかが言っていた
   鳩の湯にときどき来てるんだって
   傍らにはかならず
   山登りよりもはるかに大きな
   リュックサック
   いつか
   閉店したサンリオショップの前の階段で
   横になって
   雨宿りしてましたね

とりあえずの名前を与えられた人たちもあらわれる。ミハさん(「もってこいの日」)、ゴチョウさん(「ゴチョウさんに会う」「踊り場」「期日前投票」)などだ。彼らもしずかな人たちなのだろう。

詩集最後に置かれた3編「行列」「秋」「西風」は、どれもが話者が自分に話しかけているような静かな作品。ここまで脱力しながらの奇妙な魅力に惹かれて作品を読んできて、ついに作品は読む人のことも意識の外へ投げ出してどこかへ行ってしまおうとしているようだ。この詩集は次の詩句で終わっていく。好いなあ。

   風の、やってくる方を向くと

   あかるい顔がしずかにぬれている
                 (「西風」)

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