瀬崎祐の本棚

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詩集「ひらがなの朝」 高階杞一 (2021/07) 澪標

2021-07-21 17:47:14 | 詩集
105頁に33編を収める。
あとがきにはパソコンを失った夢のことが書かれていた。それに象徴されるように、この詩集の作品は喪失についての思いを静かに積み重ねている。

齢を重ねてきた作者は、夫婦で残された時間についてのたわいない会話をし、自身が病気で死にかけたことがあったことを思いだす(「朝の会話」「クギヌキさん」)。そして、窓の向こうで木の葉がゆれるのを見ている「秋の朝」では、自分が去っていくときの情景を夢想している。

   風にも手足があるのかな

   ぼくの死ぬときにもそばに来て
   頭をそっとなでてくれるかな

話者は、覚悟といった身構えたものではなく、もっとさりげない去り方を受け入れようとしている。風に頭を「いいこ、いいこ」となでてもらって「この世から/そっと去っていけたらな」と思っている。この穏やかな諦観は少し寂しいのだが、この去り方が作者の真に望んでいるものなのだろう。

そんな作者はこれまでの生の中で失ってきたものを思う。「海の贈り物」は、「朝/まだ目ざめたばかりの/海を持って/君に会いに行く」と始まる。おそらく君は長い闘病生活をおくっていて、そんな君にほんものの海をプレゼントしたかったのだろう。実際にはしてあげられなかった事柄が作者にはいくつもいくつもあるのだろう。切ない。ふたりでいっしょに島まで泳いでいく約束もする。最終部分は、

   治ったらね とぼくは言う
   うん と君はうなずく
   そうして
   それが
   君と話した最後になった

もう何も付け加えることはない。君がいなくなったあとでデッキに入っていたCDの曲を聴く、作者のかつての作品「早く家へ帰りたい」を思い出してしまう。

「失うというのは/どういうことなのだろう」と自問する作品「失う」で、作者は「ポケットに手を入れて はじめて/小さな穴に気づくこと」と言う。作者の繊細な感覚が素直な共感につながっていく。

「ふた」「雨の朝」については詩誌発表時に簡単な感想を書いていた。
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