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詩集「一通の配達不能郵便がわたしを呼んだ」 沢田敏子 (2020/09) 編集工房ノア

2021-01-05 21:46:40 | 詩集
 第8詩集。117頁に29編を収める。

 「記憶」は2編からなるがその内の「ハンドバッグ」。何か因縁のある相手との話し合いの席でわたしはコップを倒しあなたのハンドバッグを濡らしてしまったのだ。何ごともなかったようにわたしたちは話し続けたのだが、あのハンドバッグは「遺恨のようなしみになったの?/それとも諦念のままに艶を保っている?」。あなたとの関係がどのようなものだったのかは語られないが、女同士の愛憎のようなものがあったのだろうか。最終部分は、

   ハンドバッグを持つたびにあなたが感じた
   日々に変わる手触り
   くらぐらと深い哀しみの中に
   あなたは今でもときどき立っている
   --乾きにくい記憶とともに

 一つの出来事に象徴された記憶が淡々と書き留められている。哀しみのあなたを思いながら、わたしもまた今でも立っているわけだ。あなたを描くことによって、わたしの心の中のハンドバッグも未だ乾いていないことが伝わってくる。

 このように、多くの作品でこれまでの日々をあらためて取り出して、静かに眺めている。川の隣に建っていた洋々医館や、石屋の子どもであるカーミちゃんのことなど。もう一度それらの風景や人々を書き付けることによって、もう一度その時を生き直しているようだ。そして今の自分を確かめているのだろう。

 「夕陽が紅茶の中に」は、行きつけだった店の二階でタイトル通りに差し込んだ夕陽で「きんいろの海が滔々 溶け出した」のだ。そのひとときは何ものにも代えがたいもので、その訪れは恩寵のように思われたのだ。

   おなじことが
   もうわたしに起きなくてもいい。
   ほかの誰かが いつかどこかの席で
   パンとともに食むのをおもうとき
   きんいろの夕陽が
   そのひとのティーカップにも
   ひとつの恩寵のように差し込んでいたらいい。

そのひとときは充分にわたしを満たしてくれたのだろう。そしてそのようなひとときをほかの人も味わえることを願っている。そんな、誰かに起きる恩寵を願う気持ちが、それこそきんいろに世界を照らすようだ。
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