ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

親方日の丸

2009-11-28 16:15:35 | 時事(国内)
先日、日本航空OBに対して企業年金削減についての話し合いが行われた。
OBの中には年金削減に対し露骨に批判するものもいた。確かに、どのよう
な理由であれ、貰える年金が減る以上、すんなり賛成できないのは最もな
話しではある。

しかしである。そもそも企業が潰れてしまえば企業年金など無くなって
しまうのだ。削減どころの話しではないのである。そして、本来、民間企業
というものは財政難に陥り、自力再建できないなら潰れてしまって然るべき
なのである。

国がわざわざ税金を使ってまで、JAL再建を行う理由は、我々日本人が海外へ
行く際の利便性の保持という理由だけであり、結してJALOBの年金の為では
ないのである。OBがあまりわからないことばかり言うならば、一度潰して
しまえば言いのだ、というのがJALOBの年金などに何ら関係のない一般人の
声である。

確か一週間位前だったか、朝日新聞の記事に長々とJALの歴史が綴られて
いた。

それによると、第二次世界大戦の戦犯国・日本は、戦後長らく航空機の
独自運行を全く認められなかった。

日本の旅客機が初めて空を飛んだのは1951年(昭和26年)10月25日のこと。
その時の乗客は21人で、東京と福岡を大阪経由で1日1便が飛んだそうで
ある。

当時はまだ、吉田茂首相が講和条約を結ぶ前の話で、航空会社は日本航空
株式会社だったが、運航はアメリカのノースウェスト航空が行い、機体も
借り物で、パイロットはアメリカ人という、いわゆる委託運行であった。

羽田から福岡までの所要時間は約3時間で運賃は片道8800円であった。
今より安いかと思いきや、当時の大卒初任給は4000円である。およそ2か月分
以上の金額で庶民には、まだまだ高嶺の花であった。

こうして始まった日本航空だが、親方日の丸体質からの脱却が遅れ、今では
瀕死の状態である。かつて世界の翼と呼ばれたパンナムはすでに一昔前だが、
ベルギーのサベナやスイスのスイス航空、ブラジルのバリグなど、その国を
代表するナショナルフラッグキャリアですら、潰れてしまう時代なのだ。

そしてこの話しは、日本もその例外ではなかった、というだけの話しである。

それをなんとか国の力で…と言うのは、それこそ親方日の丸体質からの脱却は
ほど遠いと印象づけるだけである。






コメント