9月14日 平城遷都1300年記念
「奈良の古寺と仏像」展 會津八一のうたにのせて
三井記念美術館で 9月20日まで
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/20/7fc4aa52a2765ddf7beaf0e00ac8e54a.png)
何日か前にNHK TVで同趣の番組があり、さきの大戦のさなか、
美術館は平日にもかかわらず、沢山の仏像ファンが詰め掛けていたのには
まず驚きました。8~9割が中高年のオバサマ。
特別展は7室に分かれ、それぞれのテーマに沿った展示がなされて
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/38/272211df71671dce90d356ba4ce1920c.png)
何と言っても注目は法隆寺の国宝 「観音菩薩立像」 (夢違観音)さま。
奈良時代、銅製。 パンフレットの表紙にもなっていますが、
悪夢をよい夢に変えてくださるお力があるそうです。
お顔立ちも体つきもしっかりとしていらっしゃって、思わず手を合わせました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0056.gif)
薬師寺には
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/77/c450ad44f3844b548200c02e9a5f8702.jpg)
會津八一は明治14年(1881年)新潟市生まれ。
八月一日生まれで、八一と名付けられました。
(西暦でも81で 名付けた人は気がついていたのかな~)
歌人,美術史家、書家で、早稲田で教壇に立っていました。
27歳の時にはじめて奈良を訪れ、和歌と美術の道に
進むきっかけになったと言われています。
和歌はひらがなで書かれています。
奈良を愛し、多くの奈良賛歌を残した人です。
目をひいたのは茶室に掲げられた「学規」で
という学問をする人の心構えを書いたものでした。
作られた茶室の中が 「如庵」 を模したものであるという説明がなくて、
オーディオガイドを聴いて初めて分かりましたけど。
「會津八一と奈良」 ~歌と書の世界~
と言う本を買いました。入江泰吉の写真がすばらしいです。
奈良の20寺からの仏像、工芸品が展示されていて、
日本橋でこんなに間近に拝観できるのは、奈良好きとしては
たまらなく有難い展覧会でした。
来月奈良にいきますが、周りの風景がより深く感じられるんじゃないでしょうか。
「奈良の古寺と仏像」展 會津八一のうたにのせて
三井記念美術館で 9月20日まで
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/20/7fc4aa52a2765ddf7beaf0e00ac8e54a.png)
何日か前にNHK TVで同趣の番組があり、さきの大戦のさなか、
会津八一が戦地に赴く学生達に、 奈良に行き仏像を見るように呼びかけ、
みずから観仏のプログラムを立てたことを知りました。
みずから観仏のプログラムを立てたことを知りました。
美術館は平日にもかかわらず、沢山の仏像ファンが詰め掛けていたのには
まず驚きました。8~9割が中高年のオバサマ。
特別展は7室に分かれ、それぞれのテーマに沿った展示がなされて
いました。圧巻は国宝を含む比較的大きな仏像の並ぶ第7室
でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/38/272211df71671dce90d356ba4ce1920c.png)
何と言っても注目は法隆寺の国宝 「観音菩薩立像」 (夢違観音)さま。
奈良時代、銅製。 パンフレットの表紙にもなっていますが、
悪夢をよい夢に変えてくださるお力があるそうです。
お顔立ちも体つきもしっかりとしていらっしゃって、思わず手を合わせました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/01/2a06b58ef022d58e62929acd200d81ea.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0056.gif)
興味深かったのは、「東大寺の五劫思惟阿弥陀如来坐像」
(鎌倉時代、東大寺)で、五劫 というのは仏の長い時間 と言う意味で、
髪の伸びるのも構わず 修行に没頭していた時の 姿を表しています。
髪が長く延びて 大きい帽子をかぶっている様な頭になってしまった像です。
髪の伸びるのも構わず 修行に没頭していた時の 姿を表しています。
髪が長く延びて 大きい帽子をかぶっている様な頭になってしまった像です。
ユニークなお姿ですが、おだやかで、きれいなお顔でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_heart.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/cb/08fb0cfc9075a59bd1e0b92c014c0936.jpg)
重文 如来型立像 平安時代 唐招提寺
胴体だけの姿でありながら、形の美しさから「唐招提寺のトルソー」
と親しまれて来ました。ギリシャ彫刻のようだと言われるそうです。
かや材の1本作り (7月27日~9月20日)
それぞれの寺に八一の歌が配せられ、例えば
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_heart.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/cb/08fb0cfc9075a59bd1e0b92c014c0936.jpg)
重文 如来型立像 平安時代 唐招提寺
胴体だけの姿でありながら、形の美しさから「唐招提寺のトルソー」
と親しまれて来ました。ギリシャ彫刻のようだと言われるそうです。
かや材の1本作り (7月27日~9月20日)
それぞれの寺に八一の歌が配せられ、例えば
唐招提寺には
おほてらの まろきはしらの 月かげを
つちにふみつつ ものをこそおもへ
つちにふみつつ ものをこそおもへ
薬師寺には
水煙の あまつおとめが ころもでの
ひまにもすめる 秋のそらかな
ひまにもすめる 秋のそらかな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/77/c450ad44f3844b548200c02e9a5f8702.jpg)
會津八一は明治14年(1881年)新潟市生まれ。
八月一日生まれで、八一と名付けられました。
(西暦でも81で 名付けた人は気がついていたのかな~)
歌人,美術史家、書家で、早稲田で教壇に立っていました。
27歳の時にはじめて奈良を訪れ、和歌と美術の道に
進むきっかけになったと言われています。
和歌はひらがなで書かれています。
奈良を愛し、多くの奈良賛歌を残した人です。
目をひいたのは茶室に掲げられた「学規」で
ふかくこの生を愛すべし
かへりみて己を知るべし
学芸を以って性を賞ふべし
日々新面目あるべし
という学問をする人の心構えを書いたものでした。
作られた茶室の中が 「如庵」 を模したものであるという説明がなくて、
オーディオガイドを聴いて初めて分かりましたけど。
(犬山城近くにある 国宝「如庵」へわざわざ足を運んだフアンなのです。
その時中はみせてもらえませんでしたのでラッキーでした)
その時中はみせてもらえませんでしたのでラッキーでした)
見終わってから、「Museum Cafe」で摂った食事はおいしくて
しゃれていて、お値段は手ごろ。次もあそこにしよう!
しゃれていて、お値段は手ごろ。次もあそこにしよう!
「會津八一と奈良」 ~歌と書の世界~
と言う本を買いました。入江泰吉の写真がすばらしいです。
奈良の20寺からの仏像、工芸品が展示されていて、
日本橋でこんなに間近に拝観できるのは、奈良好きとしては
たまらなく有難い展覧会でした。
来月奈良にいきますが、周りの風景がより深く感じられるんじゃないでしょうか。