9月1日 山岳写真家・田淵行男の写真展を見てきました。
武蔵野市立吉祥寺美術館で8月7日~9月12日まで。
「 知ることとは 愛すること 」 という副題が付いています。
田淵行男は1945年に現在の安曇野市である西穂高村に
疎開したのをきっかけに、北アルプスと安曇野を活動の場として、
高山蝶の研究や山岳撮影を続けた人です。
田淵行男さん(1905年~1989年)
展示品は
高山蝶の写真や細密画、多くの山岳写真や生前の愛用のカメラ、
テントを始めとする登山用品などが展示されています。
1960年代の写真が多かったけど、モノクロだったんですね。
ロビーではビデオライブラリー(約20分)が鑑賞できました。
HPより
安曇野にある「田淵行男記念館」 です。
一度、常念岳に登る前日に行きました。
1階と地下で80坪という山小屋風のこじんまりしていて、
周りにわさび田があって、常念の風が吹いてくるような記念館でした。
今年創立20周年記念として、友好都市で結ばれている武蔵野市で
写真展が開かれたようです。
安曇野は来春のNKKの朝ドラの舞台になるそうです。
帰りに一人の田淵フアンのおじさんに声を掛けられました。
「あなたは田淵さんの写真がすきですか?」
「行った事のある山ばかりでしたので、好感がもてました」 ←ワタシ
「わたしは、田淵さんの写真には柔らかさ、やさしさがあって
大好きです。白はた史朗や、白川義員のようないかつさ、鋭角さは
ないでしょう? 和みますね~」 ・・・だそうです。
9月4日
対談「田淵行男を語る」 を聞いてきました。
田淵穂高さん (田淵行男御長男 70代) ×
財津達弥さん (田淵行男記念館学芸員)
誰よりも「人間田淵」を知っている人、 誰よりも「田淵の作品」を知っている人
という紹介でした。
スライド・短い動画をみながらのお話でした。
財津さんの問いかけに対して穂高さんが答える進め方。
田淵さんは穂高さんに対し、いい加減なことを許さず、何かするにも、
まねは駄目、思いつきも駄目、何のためにどうするのがベストかよく考えよ、
とさとしました。自然を破壊することは駄目。生きているものの命を奪うのは
駄目。蚊が腕にとまっても殺しては駄目。
父の前では許しがなければ正座をくずしては駄目。・・・・・・・
そして、母はいつもお金がないことを愚痴っていたそうです。
完全主義者で、画期的な研究をなしとげた博物学者で、明治の気概
を持った田淵行男の在りし日を垣間見たようなトークでした。
武蔵野市立吉祥寺美術館で8月7日~9月12日まで。
「 知ることとは 愛すること 」 という副題が付いています。
田淵行男は1945年に現在の安曇野市である西穂高村に
疎開したのをきっかけに、北アルプスと安曇野を活動の場として、
高山蝶の研究や山岳撮影を続けた人です。
田淵行男さん(1905年~1989年)
展示品は
高山蝶の写真や細密画、多くの山岳写真や生前の愛用のカメラ、
テントを始めとする登山用品などが展示されています。
1960年代の写真が多かったけど、モノクロだったんですね。
ロビーではビデオライブラリー(約20分)が鑑賞できました。
HPより
安曇野にある「田淵行男記念館」 です。
一度、常念岳に登る前日に行きました。
1階と地下で80坪という山小屋風のこじんまりしていて、
周りにわさび田があって、常念の風が吹いてくるような記念館でした。
今年創立20周年記念として、友好都市で結ばれている武蔵野市で
写真展が開かれたようです。
安曇野は来春のNKKの朝ドラの舞台になるそうです。
帰りに一人の田淵フアンのおじさんに声を掛けられました。
「あなたは田淵さんの写真がすきですか?」
「行った事のある山ばかりでしたので、好感がもてました」 ←ワタシ
「わたしは、田淵さんの写真には柔らかさ、やさしさがあって
大好きです。白はた史朗や、白川義員のようないかつさ、鋭角さは
ないでしょう? 和みますね~」 ・・・だそうです。
9月4日
対談「田淵行男を語る」 を聞いてきました。
田淵穂高さん (田淵行男御長男 70代) ×
財津達弥さん (田淵行男記念館学芸員)
誰よりも「人間田淵」を知っている人、 誰よりも「田淵の作品」を知っている人
という紹介でした。
スライド・短い動画をみながらのお話でした。
財津さんの問いかけに対して穂高さんが答える進め方。
田淵さんは穂高さんに対し、いい加減なことを許さず、何かするにも、
まねは駄目、思いつきも駄目、何のためにどうするのがベストかよく考えよ、
とさとしました。自然を破壊することは駄目。生きているものの命を奪うのは
駄目。蚊が腕にとまっても殺しては駄目。
父の前では許しがなければ正座をくずしては駄目。・・・・・・・
そして、母はいつもお金がないことを愚痴っていたそうです。
完全主義者で、画期的な研究をなしとげた博物学者で、明治の気概
を持った田淵行男の在りし日を垣間見たようなトークでした。