アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

受信力の低下

2016年01月30日 22時05分54秒 | Weblog
 文科省やら会社やら各学校のトップやらが、コミュニケーション能力の低下を嘆く。しかし、コミュニケーション能力の基本は受けることであり、受けられないから(受けようとしないから)バス事故やら、政治家の金問題が出てくる。

 文科省が「即戦力」になる大学教育を推進しているようだ。企業の即戦力にならない「文学部」は相当いじめにあっているようだ。違うんだな。文科省が今の愚劣な方針を出す前に、世界は「スペシャリスト」から「ジェネラリスト」へと移行していたように思う。大学時代にそれぞれが興味のあることに没頭して、自分と出会い、掘り下げることができるから、それが多方面に活かせる能力の開発になるのではないか。

 文科省は、あるいは今の政府はバカだ。子ども、学校に金をかけないで、どうするんだ。あんたらの老後を支える世代だろうが。前の、金問題で辞任した文科大臣は「シェイクスピアだけを学んでも仕方ないでしょう」みたいなことを言った。言い方に気をつけないと。大村先生は微生物だけに集中して、ノーベル賞を受賞した。何を学ぶかに文科相がグダグダいう不見識。無駄とか、意味わからん、そういう部分を活かしておかないと社会は欠落したものになって、深刻な事態にになってしまう。

 甘利議員が経緯を説明した放送では、好意を感じた人も多いようだ。
 でも、情報を沢山出せば、誠意がある、という訳ではない。本当のことを言わない部分での不明。闇が深くなる。

 出すことが発信ではない。出して、それを相手がどう受け止めるかを考えることが大切なのだ。

 頭のいい人たちが、何故。結局は頭が悪いってことで片付けよう。

 


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