アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

個性なんか認めない

2006年05月30日 03時05分43秒 | Weblog
 おそらく学校は生徒の事情を持ち込みすぎた。そして、その結果、事情に振り回されるようになった。生徒の事情は千差万別。その一つ一つに対応するのは不可能だ。その代表格が「個性」。
 個性の尊重。一体どこの誰が言い出したのか。以前、ルーズソックスが流行っていた頃、学校では禁止していたんだが、ある若い教師が女生徒のルーズソックスを注意したところ、「私の個性です」と言われ、何も言えなかったという。ルーズソックスは、わかりきったことだが、個性ではない。個性の尊重はそういう風に勘違い、思い上がり、身勝手をのさばらせてしまった面がある。
 新しい校長が来ると、経営方針を打ち出すが、その中に「個性」という言葉がたいてい出てくる。それで個性って何ですか、と、訊くが、たいていまともな答えは返ってこない。つまり、よくわかっていない。そのよくわかっていないことで何ができるというのだ。
 個性の尊重というのは魅力的な言葉だが、実体がない。それを持ち込んだ人間はただただ外面つくりのためだけにアドバルーンを揚げたとしか思えない。学校は学ぶ場所だ。それは時代がどう変わろうが、変わらない。時代のあれこれを取り入れるのはよいが、時代に振り回されてはいけない。個性は部活動で尊重してもらうとして、教室では学ぶこと一点に絞り込まなくては。

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