アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

トップの甘さと一般市民のやさしさと強さ

2011年03月22日 19時45分58秒 | Weblog
 決死の覚悟で作業する人に恫喝まがいのことを言ったとかで問題になっている。こういう事態だから、ついついの発言はあるかもしれない。しかし、ついついが許されない立場の人間では許されない。本質は末端に現れる。今の政府の危機管理能力の乏しさ、指導力のなさ、そういうものがどんどん露呈されているということか。

 公共広告機構の凄まじい繰り返しも非難が高まっているらしい。「思いやりは誰の目にも見える」というアレで、年配の婦人に手を貸す高校生の顔が俄然よくなっている。「ごめんというと・・・」では、見上げる女の子の表情がいい。仁科母と娘は似ている。オシムのファーストネームがイビチャということも覚えてしまった。公共広告機構なら、繰り返すことの逆効果がわからないのかな。テレビ局は「募金のお願いのテロップでもいいんじゃないかと思う。

 政府も東京電力も無能と醜さを露にしているが、そういう中、被災した人の言動には感動することが多い。たとえば、救出された年配の男性が「また復興しましょう」と笑顔で言ったこと。そして、それがユーチューブで流されて、それに寄せられた沢山のコメント。若い人が彼の言葉と笑顔に感動して、書いた言葉にこそ日本があるように思った。若い人に元気づけられた。

 世界の多くの人の様々な支援にも感動する。ただ、まず日本人が復興に向けて一丸とならないと。無理しない程度に無理して、がんばりましょう。ここで日本、踏ん張らないと。