アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

ちょっとタメ息

2006年05月25日 18時14分42秒 | Weblog
ブログの女王と呼ばれるタレントの眞鍋かおりに挑戦してみるか、と、最初は考えたが、それがとんでもないことだとすぐ分かった。彼女は知名度があるから、それだけで訪問者は増える。現在、ぼくが利用しているブログのアクセスランキングトップは一日のアクセスIPが15000を超える。1分に10人ちょっと。現在ぼくのブログが1日に40程度だから、驚嘆と同時に底なしの無力感に突き落とされる。
また、投稿してすぐ「新規記事」をクリックしてみると、ぼくの記事のタイトルが一番上にあることはない。すぐなのに、ぼくの上にはもう20近くのタイトルが並んでいることもある。時間帯を変えてやってみるが、一番上になることはない。同じ時間に日本のあちこちのあいつやこいつが投稿している訳だ。とてつもない世界だ。
 そして、これはつい最近気がついたのだが、ぼくのブログを訪ねた数、つまりアクセスポイントとそのポイントがそのサイトのブログの中で何位かが表示される仕組みになっている。ただ、上位1000までしか順位は出ない。ぼくがびっくりしたのはそのサイトのブログの数だ。ぼくが開設した時は、

―位(541890BLOG中)

と表示されていた。言うまでもないと思うけれど、位の前の「-」は漢数字の「一」ではなく、ハイフン。ぼくが始めた時にそのサイトのブログだけで54万以上あったのだ。他のサイトを入れれば、総数がどれだけになるか、見当もつかない。これまた天文学的な数字かもしれないが、ブログに興味を持っている人が多いことは明白だ。で、その後の毎日のブログ数を見ると、なんと、ほぼ1000ずつ増えているではないか。来年の春先には80万を超える計算だ。オーマイ、ゲッ!異常だ。雨後のタケノコウルトラ・スーパー現象だ。
 Be cool!
 人気ブログが本になったり、映画化されたり、今やブログは文化の一翼を担っていると言ってもいいかもしれない。ぼくはインターネットを始めた時、図書館を手に入れたような気持になった。そして、インターネットが図書館より優れているのは、本となって出版されない情報が手に入ることだ。本にするにはお金がかかる。ところが、その辺をインターネットはヒョイと乗り越えることができる。自分でホームページを開設すれば、自分のこだわりをとことん披露できる。それがどんなにマイナーだろうと関係ない。たとえば、ぼくが好きな作家のロアルド・ダール(『チョコレート工場の秘密』が映画化されたが・・・。もう亡くなったが、生前は世界一原稿料の高い作家と言われていた。ちなみに、日本は原稿料を原稿用紙の枚数で計算するが、はて、日本で一番原稿料の高い作家は誰だろうか、と、調べたことがあった。その時の結果は2万円だったが、もっと高い作家もいたかもしれない。もう一つちなみに、アメリカの作家で数々のヒット映画の原作を書いたマイケル・クライトンはハーバード大学医学部を卒業したが、彼はお金がなくて、お金がなくて始めることができる商売は何かと考えて、結論が作家だった。『アンドロメダ病原体』はベストセラーになり、映画化された。以後、書くたびに映画化された。彼の原稿料も今は凄いだろうナ。・・・説明が長すぎて、前の文、忘れるでしょ?))の名前を打ち込んで検索すると、凄まじい数の結果になる。
 インターネットは多くの人に場所を与えた。その功績は大。
 ブログも同じ。雑誌に投稿しても採用されない内容のものが、世界に発信できるのだ。ただ、インターネットは自分を隠せるし、偽ることもできる。そこが問題なんだが、だからこそ、毎日増殖しているのだ。

 ウ~ム、ブログの向こうが見えない。

地球上の生命の数は一定である

2006年05月25日 06時00分48秒 | Weblog
 東京にいた頃、ヤギにそっくりな人がいた。この人の前世はヤギだったのか、と、思った時にある台詞を思い出した。
「誰かが泣き出すと、誰かが泣き止む。誰かが泣き止めば、別の誰かが泣き出す。だから世界の涙の量は一定なんだ」
手元にないので確かめることはできないが、確かそんな内容だったと思う。
 その「涙」を「生命」に置き換えれば、
「ある生物が死ぬと、新しい生物が生まれる。ある生物が生まれると、別の生物が死ぬ。だから、世界の生命の数は一定である」
 おそらくあの人に宿った生命は以前はヤギに宿っていたのだ。前の器の記憶が残っているので、新しい器の形がそれに似てしまった。
 君に宿る生命は前はユリの花に宿っていたんだね。だから、君はユリのように美しいんだ。ってな口説き文句はダメか?

生徒百景(5)

2006年05月25日 04時15分48秒 | Weblog
 修学旅行の小遣いの金額を一応3万以内としても、はて、どれだけの生徒が守っているか。以前、ある生徒が旅館の金庫に財布を入れたまま次の目的地に向かい、途中で気がついて、担任に申し出た。担任が金額を訊くと、金額が大きくて叱られた。まあ、多くの生徒は守っていないだろう。
 ある日、女子生徒が財布を失くしたと担任に届けた。担任が金額を訊くと8万。何でそんな大金を持ってるのか。修学旅行の小遣いの残りだと言う。一体幾ら旅行に持っていったのか。25万。そして、学年が修学旅行のアンケートを取ったところ、20万以上の生徒が全部で3人いた。お金を使う場面を少なくしないといけない。