アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

Say,Yes

2006年05月14日 02時53分40秒 | Weblog
 好きな話を一つ。
 ローリング・ストーンズに比べてビートルズはワルの印象は少ないけれど、外貨獲得で女王から表彰された時に、宮殿のトイレでマリファナを吸ったとか。
 ジョン・レノンの詩(詞の方がいいのかな)は若い頃は結構激しかったように思う。世界へのNOに満ちていたように思う。NOを突きつけていくにつれ、世界は閉ざされていく。ジョンも同様で、疲れきっていく。そんな時、街を歩いていた時に個展にふらりと入る。会場の一画に脚立が置いてあり、その上には望遠鏡。ジョンは脚立を上り、望遠鏡を覗く。と、天井に書いてある文字が見えた。YES。ジョンはYESという形で世界と接することができることを知り、救われる。そして、個展の開催者オノヨーコと結婚する。
 ね、いいでしょ、これ。
 ところが。
 ある学校の一期生が校長として母校に帰ってきた時、彼は生活四原則を掲げた。遅れない、負けない、とか、後は忘れたが、とにかく全部否定形。「~しよう」という肯定形で呼びかけることはできないのか。とにかく全部「~ない」の否定形。情けない。
 まッ、ビートルズは解散し、ジョンは数年間主夫に専念し、音楽活動から離れる。YES以後のジョンが以前に増して支持されるようになったことは間違いない。
 最近、学校にはNOが多すぎる。教職員の不祥事が多発(っていっても、全体からすれば微々たるもので、政治家の汚職の方が割合は高い!)したせいもあるのだろうが、それは誰のためなのか。教育行政の目的は子どものため。これのみ。ところが、そうじゃないだろうという通達の何と多いことか。これについては、これから述べることになるが、否定形ではなく、肯定形で世界と接する方が気分的にはよい。