みちのくの山野草

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第三章 通説を疑う ㈠ 賢治の甥の嘆き

2023-12-18 12:00:00 | 『校本宮澤賢治全集』の杜撰











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********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
  第三章 通説を疑う
 さて、私は「はじめに」の末尾で、
 それからこの出版にはもう一つの理由がある。詳しくは後述するが、今から約半世紀以上も前にある方が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
という意味のことを嘆いた。当時まさにその賢治を最も尊敬していた私にはとてもショックなことだった。そのショックが、私にこの冊子を出版をさせたもう一つの大きな理由だ。
と述べ、「詳しくは後述するが」と前触れした。そのことについて以下に述べたい。

  ㈠ 賢治の甥の嘆き
 実はこの「ある方」とは私の恩師で、宮澤賢治の甥(妹シゲの長男)の岩田純蔵先生である。だから当然、「いろいろなことを知って」おられたであろう。そこでこの章では、一度一から出直すつもりで幾つかの通説等を見直すことによって、そのことを探ってみたい。
 今でも目をつぶれば、
   『はっぱかげだらざこまがせ』
と、子どもたちが一斉に囃し立てる映画のワンシーンが時に眼裏に浮かぶ。そう、それは小学生の頃に学校の講堂で皆と一緒に観た映画『風の又三郎』のそれだ。もちろん、宮澤賢治の『風の又三郎』の〝九月七日〟の中の、「発破かけだら、 雑魚撒かせ」に当たる。そこで、あの頃は私も純真だったななどと振り返っていると、
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
というBGMが耳の奥に流れてきた。
 そして、その映画を観て程なくして、近所の遊び仲間と近くの小川へ出掛けて行って、持ち寄った山椒の葉っぱを摺って笊に入れてそれを川に流したことがあったということを思い出す。それは同じく、〝九月八日〟の「魚の毒もみにつかう山椒の粉」(『宮沢賢治』〈ちくま日本文学全集〉89p))を真似てであった。だから、この映画のシーンは当時の私たちの現実の世界と近似し、延いては、『風の又三郎』は私たちの日常と親和性が強かったので、賢治ワールドは私たち小学生にとっては殆ど違和感がなかった。賢治は身近な人だった。
 次に中学生になると、私たちの前で身振り手振りよろしく朗々と「原体剣舞連」、
   原体剣舞連
           (mental sketch modified)
      dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
   こんや異装のげん月のした
   鶏の黒尾を頭巾にかざり
   片刃の太刀をひらめかす
   原体村の舞手たちよ
   鴇いろのはるの樹液を
   アルペン農の辛酸に投げ
   生しののめの草いろの火を
   高原の風とひかりにさゝげ
   菩提樹皮と縄とをまとふ
   気圏の戦士わが朋たちよ
   青らみわたる顥気をふかみ
   楢と椈とのうれひをあつめ
   蛇紋山地に篝をかかげ
   ひのきの髪をうちゆすり
   まるめろの匂のそらに
   あたらしい星雲を燃せ
     …筆者略…
     Ho! Ho! Ho!
        むかし達谷の悪路王
        まつくらくらの二里の洞
        わたるは夢と黒夜神
        首は刻まれ漬けられ
   アンドロメダもかゞりにゆすれ
        青い仮面このこけおどし
        太刀を浴びてはいつぷかぷ
        夜風の底の蜘蛛おどり
        胃袋はいてぎつたぎた
     …筆者略…                  〈『校本宮澤賢治全集第二巻』(筑摩書房)105p~〉
を歌い上げる一人の友人がいた。その雄姿は今でもまざまざと蘇る。この友人は桑島正彦(声優で歌手でもあり、第19回イーハトーブ賞奨励賞受賞者でもある桑島法子の父)であり、現在活躍中の作品朗読者の朗読を聴くことも時にあるが、正彦のそれに誰もかなわないと私は思っている。おそらくその同級生の強い影響もあったからであろう、私はこの「原体剣舞連」が大好きだったし、賢治が好きになった。
 そして高校生になった私は、賢治のことも賢治の作品も共によくわかってもいないのに、次第に、賢治を最も尊敬するようになっていった。
 さて、私はなぜ当時賢治を最も尊敬するようになっていったのかということを今になって振り返ってみると、それは、賢治は貧しい農民のために己の命まで犠牲にして献身したという、いわば聖人・宮澤賢治像を私の中に育ませてもらったからのようだ。そしてどうしてそうなったのかというと、私が学校で先生から教わった国語の教科書がどのようなものであったかの記憶は定かではないが、国語の教科書等であの「雨ニモマケズ」等を教わったことが大きいと思う。今になって冷静になれば、賢治はあくまでも「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」と言っていただけなのだが、当時、先生から「賢治はこのように自己犠牲を理想にし、実行したのだ。このような犠牲的精神をあなたたちも心掛け、賢治のように生きてみなさい」と諭され、その当時は素直だった私は、そうだよな、何も出来ないにしても、
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
をして、せめて「雨や風などに負けずに」生きていこう、などと自分勝手に解釈していた。
 そしてなにより、賢治終焉前日の、
 かれが死の前日、見知らぬ農夫が肥料のことで尋ねてきたとき、病状を知っている家人は気が気でなかったが、かれは病床を起き出て階下の玄関に客を迎えた。そして、一時間もきちんとすわってていねいに教えていたということである。         〈『中等新国語 文学編 二上』(坪内松三編、光村図書出版、昭和26年)109p〉
というようなエピソードは私たちが習った教科書にも載っていたはずで、「すげぇ!、賢治は貧しい農民のために己の命まで犠牲にして尽くした凄い人だったのだ」と私はとても感動したおぼろげな記憶がある。
 こうして、私が最も尊敬する人物はいつしか聖人・賢治になっていった。
 さて、岩手大学の学生になった頃の私はどうであったか。
 同級生の中には、授業をサボって花巻を訪ね、下根子桜やイギリス海岸に行ってきたなどという賢治好きの輩もいたが、私は現地を訪ねることもせず、賢治の作品を読み込むこともせずに、はたまた学生運動華やかなりし時代だったがそこまでのめり込むこともなくのほほんと暮らしていた。せいぜい賢治に関して知ったことは、賢治が昭和3年に下根子桜から撤退したのは、「八月、心身の疲勞を癒す暇もなく、氣候不順に依る稻作の不良を心痛し、風雨の中を徹宵東奔西走し、遂に風邪、やがて肋膜炎に罹り、歸宅して父母の元に病臥」という通説ぐらいなものだった。そこで私はますます、「賢治は貧しい農民のために己の健康まで犠牲にして献身した」のだと確信するようになっていった。
 そして3年生の頃になると、就職を気にし始めていたせいもあってか、尊敬する人物は誰ですかと問われると、「破滅的で微分的な啄木と違って、積分的で求道的な生き方をし、貧しい農民たちのために己の命さえも犠牲にして献身しようとした天才詩人で童話作家の賢治です」などと粋がって答えていた記憶がある。
 ところが問題は、4年生になってとてもショックなことに出遭ったことだった。それは私が所属を希望した講座に新任の教授が赴任してきたのだが、同教授は私たちを前にしてある時、あの「賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった」という意味のことを嘆いたのだ。私は大ショックだった。それは、その頃私が最も尊敬していた人物は他でもない、まさに賢治だったからということだけでなく、実は新任の教授は岩田純蔵氏であり、賢治の甥(賢治の妹シゲの長男)だったからなおのことであった。甥であったならば、確かに「いろいろなことを知っている」はずだ、と。そして、そうか、巷間言われている賢治と本当の賢治とでは違うところが少なからずあるのかと、私の賢治像は大きくぐらついてしまったのだった。
 とはいえ、その後の学生時代にも、卒業して仕事に従事している間にもそのようなことを検証するための時間的余裕が私にはなかった。それが十数年前に定年となり、私はそのための時間をやっと持てるようになって賢治のことを調べ続けることができた。すると、常識的に考えればおかしいと思われるところが、特に「羅須地人協会時代」を中心にして幾つか見つかった。そこでそれらの検証作業等をしてみた結果、やはり皆ほぼおかしかった(そうか、これらのことなどが、恩師が嘆いていたことの具体例だった蓋然性が高そうだと直感した)。
 その主な事柄は、カテゴリーとしては「杜撰」ということで、既に〝第一章〟において、
  ⑴ 「サムサノナツハオロオロアルキ」もなかった賢治 については、㈠ あらゆることを疑い  で、
  ⑵ 羅須地人協会時代の上京についてのあやかし   については、㈡ 一次情報に立ち返って で、
  ⑶ 羅須地人協会時代は「独居自炊」とは言い切れない については、㈢ 自分の頭と足で検証  で、
  ⑷ 〈悪女・高瀬露〉はとんでもない濡れ衣である   については、㈣ 杜撰が招いた冤罪   で、
それぞれ述べてみたところである。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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