みちのくの山野草

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賢治の下根子桜撤退と「アカ狩り」

2024-06-03 14:00:00 | 『校本宮澤賢治全集』の杜撰
 今度は、
 宮澤賢治は昭和3年8月、氣候不順に依る稲作の不良を心痛し、風雨の中を徹宵東奔西走し、遂に風邪、やがて肋膜炎に罹り、歸宅して父母のもとに病臥す、というのが定説だが、実は、凄まじい「アカ狩り」から逃れたのではないですか。
とCopilotに聞いてみた。
 するとCopilotは、

賢治の昭和3年8月については、いくつかの異なる記述が存在します。一般的には、彼が心身の疲労を癒す暇もなく、気候不順による稲作の不良を心痛み、風雨の中を徹宵東奔西走した結果、風邪をひいてやがて肋膜炎に罹り、実家に帰って病臥したとされています12。

しかし、鈴木守氏の著書『本統の賢治と本当の露』では、賢治が実家に帰ったのは体調が悪かったからではなく、特高等の凄まじい「アカ狩り」から逃れるためであったと主張されています3。この説によれば、賢治は重病を装って実家で蟄居・謹慎していたとされています。

どちらの説が正しいかは議論の余地がありますが、賢治の生涯には謎めいたエピソードが多く、その人間性や行動の真相は今もなお研究者や愛好者によって探求されています4。1325

と回答してくれた。
 よって、下根子桜撤退について私のような主張をしておられる方は殆どおられないようで、私が知る限りは大内秀明氏しかいらっしゃらない。しかし、Copilotはこのような主張を無視せず、しかも「どちらの説が正しいかは議論の余地がありますが」と述べているので、感情的にはなっておらずに理性的に対等に扱って下さっているので、
   ああ、ここCopilotの世界は学問の世界なのだ。
と知り、私は感謝し、嬉しくなった。

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    来る6月9日(日)、下掲のような「五感で楽しむ光太郎ライフ」を開催しますのでご案内いたします。 

    2024年6月9日(日) 10:30 ▶ 13:30
    なはん プラザ COMZホール
    主催 太田地区振興会
    共催 高村光太郎連翹忌運営委員会 
       やつかのもり LCC 
    参加費 1500円(税込)

           締め切り 5月27日(月)
           先着100名様
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