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終 章 このままでいいのですか(テキスト形式)

2024-03-07 14:00:00 | 『校本宮澤賢治全集』の杜撰
  終章 このままでいいのですか
 さて、第一章では、筑摩書房らしからぬ幾つかの杜撰があるということを論じたが、その中には当初入っていなかった、あの「定説★」までもがかなり杜撰であることがこれで明らかになった。賢治の終焉に関わることだからかつての私ならば触れることさえも畏れ多くて避けてきたこの「定説★」までもが、実は嘘である蓋然性が極めて高いということを知ってしまった。ということであれば、私が最も恐れることは、この嘘かも知れない「定説★」と同じような内容が学校の教科書に載った場合にどうなるかということだ。
 そして実際、本書の巻頭で引用したように、賢治終焉前日の農民との面談、
 そして、一九三三年(昭和八年)九月二十一日が来る。
 前の晩、急性肺炎を起こした賢治は、呼吸ができないほど苦しんでいた。なのに、夜七時ごろ、来客があった。見知らぬ人だったけれど、「肥料のことで教えてもらいたいことがある。」 と言う。すると賢治は、着物を着がえて出ていき、一時間以上も、ていねいに教えてあげた。    〈『国語⑥創造』(光村図書出版、令和3年、122p〉
が載っている教科書が今でも使われているという現実がある。つまり、嘘かも知れない「定説★」と同じような内容が載っている教科書が現在も使われている。
 となると、このような教科書で賢治を習った子どもたちの多くは、賢治は農民のために自分の命まで犠牲にして尽くした立派な人間であったと素直に思い込むであろうことはほぼ明らか。そしてやがて成長するとともに、谷川徹三たちが願ったように、多くの子どもたちは聖人・賢治像を育んでゆくであろうこともまたほぼ自明。
 だから私は世に問いたい、このままでいいのですかと。そして先生方には訴えたい、もう止めませんか嘘の(かも知れない)賢治を使って子どもたちを騙す虞のあることは、と。そして関係者には、『校本宮澤賢治全集』の杜撰がこのままでいいのですか、と言いたい。
 もちろん、賢治がそのとおりの聖人であったならば、子どもたちにそう教えることは全然否定しない。がしかし、拙著『本統の賢治と本当の露』や本書『このままでいいのですか『校本宮澤賢治全集』の杜撰』等で明らかにしたように、そうとまでは言い切れない。従って、いわば意図的に創られた賢治を子どもたちに教えていることになりかねないのだから、はたしてこのままでいいのだろうかということでもある。少なくともこの賢治終焉前日の面談の内容は事実とは言い切れないのだから、もうこのような教材は教科書から速やかに削除すべきでしょう。純真な子どもたちを騙している恐れが頗る大きいのだから。
 それでもやはりこの面談をこれからも子どもたちに教えたいというのであれば、まずはこの面談の内容が事実であったということを実証せねばならないことは当たり前のことだ。そしてもちろん、それが出来ないうちはこのようなことを教えることが許されないこともまた当然のことだ。
 言い方を換えれば、谷川徹三たちや「校本年譜」そして「国語教科書」は、
   『あなた方は私を使って純真な子どもたちを騙しているのではありませんか。今までも、これからも』
と賢治から厳しく問われているかも知れない。
 私はかつては、賢治関連については、まずは〈悪女・高瀬露〉という冤罪を晴らし、賢治が血縁以外の女性の中で生前最も世話になった高瀬露の尊厳と名誉を取り戻すことが、人権問題だから何よりも優先されるべき課題だと思っていた。そのことを願って出版したのが『本統の賢治と本当の露』だった。ところがその後、この冤罪事件は「倒産直前の筑摩書房は腐りきってい」たということが大きく関わっていたに違いないと思えて、そこに留まっていたのではこの冤罪は晴らしにくいということを私は覚った。
 そこで、そのための一つの取り組みとして次は、『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』を出版し、なぜ「新発見の252c」と、はたまた、「判然としている」と断定出来たのかという、我々読者が納得出来るそれらの典拠を情報開示していただけないか、と筑摩書房に直接お願いをした。しかし、筑摩書房からは何の音沙汰もない。
 ならばということで、今度は、この『このままでいいのですか『校本宮澤賢治全集』の杜撰』という冊子を出版し、これまでは遠慮していたことも出来る限り正直に述べた。それは、私もそろそろ老い先短い歳になってきたのでこの冊子をいわば「遺言」として残すことにより、一人でもいい、私の主張を知ってくださる方が現れて、「校本全集」の杜撰さが段々に解消されてゆくことを願ってである。
 なお、以前、拙著『本統の賢治と本当の露』を出版した直後、とある学会が特に私(鈴木守)を個人攻撃する文書がその学会員全員に配られた。するとそのことを知ったある方が慌てて『鈴木さんはこのままだとこれによって殺されますよ』という心配の電話を掛けて寄越したことなどがあった。ただし、『本統の賢治と本当の露』は、今回の『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』と比べればまだまだ私は穏やかに、そして筑摩書房に対しては控え目に書いたものだったというのに。しかし、今回の拙著は、私が今までの経緯から、後世に言い残しておくべき「遺言」という覚悟で出版したものであるから、遠慮はせずに、はっきりと書き記した。従って、今回はそれ以上のことが起こるかも知れないということを私は恐れている。
 がしかし、一連の拙著の出版は恩師岩田純蔵先生からの黙示のミッションでもあり、高瀬露の濡れ衣を晴らすためであり、そして本当の賢治を私たちの許に、なにより子どもたちに、そう未来の子どもたちのために取り戻すためであるという自恃を失いたくないので、負けない。だから最後に、特にこう言いたい。

 国語の教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えて、純真な子どもたちを騙している虞れのあることをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。

 これで、至らぬ点は多々あるとは思うが、私淑してきた上田哲の遺志を少しは引き継げたものとしての拙著、『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』を出版出来ることになって、安堵している。

 最後に、今まで多くのご指導ご助言、沢山のご叱責やご批判、そしてご協力賜りました皆様方に御礼申し上げます。特に、最終段階で多くのご指導とご指摘を賜りました吉田矩彦氏に深く感謝申し上げます。そしてまた、出版の労をとっていただいた録繙堂出版の藤澤史志氏にも篤く御礼申し上げます。
 令和5年8月30日
鈴木 守

〈付記〉
  引用文は原文のままで用いたが、漢字の「旧字体」が一部見つからず現代表記としたものもある。
故人の方の場合、敬称につきましては基本的に省略させていただいた。

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