みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

本日の下根子桜(11/18)30

2022-11-18 18:00:00 | 下根子桜八景
 今日(11/18)、花巻は雪は降っていないが賢治詩碑を訪れてみた。今年これで30回目だ。
 ところで、賢治は今から92年前の今日(昭和5年11月18日)付けの書簡〔282〕を、弘前歩兵第参三十一聯隊第九中隊に入隊中の菊池信一宛に出していた。
《1 》(2022年11月18日撮影)

 そして、詩碑の周りをぐるり回りながら賢治は何故この書簡にあんなことを書いたのだろうかと思いを巡らしてみた。 
《2 》(2022年11月18日撮影)

《3 》(2022年11月18日撮影)

《4 》(2022年11月18日撮影)

《5 》(2022年11月18日撮影)

《6 》(2022年11月18日撮影)

《7 》(2022年11月18日撮影)

《8 》(2022年11月18日撮影)

《9 》(2022年11月18日撮影)

《10 》(2022年11月18日撮影)

《11 》(2022年11月18日撮影)

《12 》(2022年11月18日撮影)


 その手紙の中には、
この冬さへ越せばもう元の通り何をしてもいゝと医者も云ってゐます。たぶんは四月からは釜石へ水産製造の仕事へ雇はれて行くか例の石灰岩抹工場へ東磐井郡へ出るかも知れません。それも全く健康にさへなればどんなことをまた考へ出すか自分でも見当がつきません。こちらも雪です。…投稿者略…
             〈『新校本宮澤賢治全集第十五巻 書簡 本文篇』297p〉
ということも書かれていたからだ。しかし、一周しても老いぼれの頭の中には何も思い浮かばないので私は、『ということは、昭和3年8月10日、志半ばで賢治さんは下根子桜から撤退した訳ですが、それから2年3ヶ月が過ぎたその頃はもう、そこに戻って再び「本統の百姓になる」ことにチャレンジするということは考えていなかったということになるのですか』、と賢治詩碑の正面に向かって問うてみた(『この冬さへ越せばもう元の通り何をしてもいゝと医者も云ってゐます』というからだ)。しかし、返事はなかった。

 ならば、パースペクティブにでも見てみようかと思って、高台から下りて賢治詩碑を遠望してみた。
《13 》(2022年11月18日撮影)

《14 》(2022年11月18日撮影)

 すると、却って見えてきたものがあった。

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