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『名画の言い分』第6章と第7章 木村泰司著

2018年06月07日 | 読書雑感
第6章はオランダ絵画の魅力について。この本は、フランドル地域の絵画についての説明がやけに多い。レンブラントやフェルメール、ヤン・ファン・エイクは知ってはいたが、西洋絵画の歴史の中では重要度が高かったんだね。知らなかった。

木村氏がこの地域が重要だと考える歴史的背景として、絶対君主制からいち早く脱して市民を中心とする近代国家を樹立したこと。これにより、一般市民をマーケットとする絵画が発展している。一般市民、即ち商人や船乗り、農民たちは、王侯貴族と異なって神話の世界がどうのこうのなどとは言っておられず、現実の生活に直面しているため、現実の人生の喜びを描いた絵画に対するニーズが高かった。そのために、ジャンルとして静物画や風景画、風俗画が多く描かれ、しかも王侯貴族のような超特権階級が画家に特別発注するオートクチュールではなくて、画家が予め描いた絵の中から好みのものを選ぶと言うプレタポルテのような仕組みが出来上がった。現在のような絵画の流通システムはオランダで誕生したという点で、画期的だったんだね。しかも、17世紀のオランダにとって絵画は重要な輸出品だったのだそうだ。美術と言えば、フランスと思ってしまうのだが、これは以外だった。

オランダで発達した絵画のジャンルとして風俗画があるが、これは市井の人々の生活のワンシーンを描いたもの。生活のワンシーンを切り取ったものであっても、カルヴァン主義プロテスタントとして敬虔な信者であった彼ららしく、宗教的なメッセージが込められている。例えば、ヤン・ステーンの『陽気な酒飲み』のように飲酒や楽器を弾いているシーンは性的なものの象徴で悪徳、ヘラルト・テル・ボルフの『林檎を剝く女』のように子育てや家事に勤しむ女性が描かれたものはキリスト教的な女性の美徳を表現している。

また、同時代の他の欧州諸国の絵画では見られないも特徴として、フェルメールの『女主人と召使』のようにオランダの風俗画には女性が手紙を書いたり読書をしているシーンがよく登場する。このことから、当時のオランダの教育水準が高かったことが分かり、このような絵画の観方のあることも新しい発見でした。

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続く第7章は風景画の変遷に関してです。タイトルが「エデンの園からの解放」と名づけているところが憎いよね。

そもそも、中世におけるキリスト教では、この世の『創造物は天地創造の中でも最低のレベルであったものが、15世紀の神秘主義の台頭により、この世のすべてが神の創造物であり神の精神が反映されている、と考えが変わってくる。これにより、中世絵画の中でも概念の世界しか描かれなかったものが、目の前に広がる世界を正確に観察して描く写実的な絵が生まれるようになった。15世紀にレマン湖を描いた『奇跡の漁り』(コンラート・ヴィッツ)は、聖書の中の物語に拠ったものだが、特定の風景を背景として大きく描いた初めての絵画。オランダでは風景画の人気が高まり、ヤン・フォン・ホイエンが描いた『二本の樫のある風景』などは、オランダ独特の微妙な空の表情と水蒸気をたっぷりと含んだ空気感を見事に描き出している。18世紀のイギリスとイタリアにもこの流れは伝播し、イングリッシュ・ガーデンが完成したのもこの時期。そして19世紀のフランスに影響を与え、自然観察を是とするカミューユ・コロー(『』)やバルビゾン派、外光派などが登場した。外光派の中心人物であったウジェーヌ・ブータンの『トルーヴィルの浜辺』は海景画というジャンルを産んだだけではなく、印象派の直接的な先駆者と見られている。
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『名画の言い分』第5章 木村泰司著

2018年06月07日 | 読書雑感
第5章の内容はグッと変わって、天使とキューピッドの違いについての講義です。

キューピッドは古代ギリシャ時代の神々の一人で、性愛の神様エロスの英語名。キューピッドは愛と美の女神ヴィーナスの息子とされていて、広く知られているように愛の標的を射る弓と矢を携えている。元々は少年または青年の姿で現されていたのだが、17世紀のバロックやロココの時代頃から、ぐっと幼い姿になっていった。絵画の主題になるほどの存在ではないが、絵画のテーマが愛であることを分からせるために使われていた。

非常に似通った存在として、弓矢を持たない裸の有翼の子供が描かれていることもあるが、これはプットー(複数形はプッティ)と呼ばれる存在で、さまざまな妖精を擬人化したものらしい。リューベンスの『愛の園』のようにバロック時代には画面が大型化したため、空きスペースを埋めるために重宝されたそうだ。弓と矢がないのがプッティーとはいっても、ヴィーナスと一緒に描かれたものは、たとえ弓と矢を携えていなくてもキューピッドとなる。なぜなら、ヴィーナスの息子だから。お約束事ですよね。

一方、天使とは、本来は肉体を持たず姿や形やサイズが決まってはいないが、地上にいる際には物質化して人間のように見える存在とされている。神様の意志を人間に伝えるためにメッセンジャーが天使たちの役割で、キリスト教だけでなくイスラム教やユダヤ教にも現れる。そして、上級天使、中級天使、下級天使と全部で9等級のランク付けがあって、私でも知っているガブリエルやミカエル、ラファエルは、大天使と呼ばれる下から2番目の下級天使でしかないんだってさ。天使さんの世界も我等サラリーマン同様にヒエラルキーがうるさいんだね。昇格とか降格とかあったのかね。ルシファーという名前の堕天使がいることは知っているが、これもヒエラルキー間の移動なのだろうか?もし、そうなら、サラリーマンとしてルシファーさんに同情申し上げるよ。第1位の天使は、セラフィム(熾天使)と言う名前で純粋な光と思考の存在なんだって。どんなものか、ちっとも想像できないね。面白いのは、悪魔の侵入を阻止するために悪魔の軍勢と対峙する役割の天使が、パワーズ(能天使)として第6位のランキングされている。さっきも書いたように、上級になればなるほど見えない存在になるので、画面上に描く時には、頭部に翼がついた存在であったり、時には6枚の翼だけで描かれることもあるんだって。『ケルビムのいる聖母子』(ケルビムは第2位の天使で智天使)の天使などは、不気味な存在でしかなく、勘弁して欲しいね。

つまり、天使は神の使いであるため、キリスト教と関係がある。聖母子の直ぐそばにいる人物は、天使。普通の人間が聖母子のそばにお近づきになれる訳がないからだね。

このように、翼があるからといって、神話を主題にしている画を見て、「この天使が~~」とは口が裂けても言ってはいけないし、教会に飾られている画の中の有翼の姿をみて「このキューピッドがね~~」などと頓珍漢なことを言ってしまうと、無教養の田舎モン(我々は異教徒ですが...)と失笑を買ってしまうことが分かりました。

絵画を観て教養高いジェントルマンを気取ろうとしている以上、これは大切な知識でありました。
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