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『名画の言い分』第4章  木村泰司著

2018年06月05日 | 読書雑感
昨日に引き続き西洋美術の世界へ。第4章は、1章丸まる使って肖像画というジャンルについて教えてくれる。

肖像画のルーツは、古代ギリシャ・ローマ時代のコイン。皇帝を初めとして、偉業を成し遂げた人たちの顔がコインに彫られ、彫刻でも多くの肖像、彫像が彫られたが、中世キリスト教社会での神万能という時代に肖像が廃れてしまう。再び人間中心となるルネサンス期から肖像画も再生してくる、という流行廃りの歴史があった。再生した肖像に描かれるのは、もちろん時の権力者。よって、肖像画の一つの観方として、そこに描かれる権力者たちが何をメッセージとして伝えているのか、どんな人間だったのかなどを画から読み取れるのが肖像画の愉しみ方の一つだという。まさに、肖像画は画でありながら伝記とも言えるのですね。そんな肖像画も、市民階級の台頭や家族感の変化を背景として、一般人に広がっていく。ごく一部の超リッチ層からスタートし、次第に中下流に降りていく段階で、ブランドが大儲けするという商売の基本ルール図式がここにも現れている。

15世紀にフランドルで活躍したヤン・ファン・エイクが肖像画の開拓者と呼ばれる人物で、この人描いた『アルノルフィニ夫妻の肖像』は前に観たことがある。奥方は初々しくて可愛いのだが、男の顔が正直言って不気味で気味悪い。きっと男の家族がとんでもなく金持ちで、カネに明かして美人を娶ったことを自慢げに描いた画だろう、程度に思っていた。この画の中でも、前章で説明のあった「象徴」が多く描かれているのだという。例えば、足元の犬は結婚のシンボル、窓下のオレンジは一人が清いまま結婚したこと、新婦の後ろにある赤いベッドは二人が本物の夫婦であること、天井から下がるシャンデリアの蝋燭(1本のみ)は結婚の象徴であり、また火が灯っていることは神が結婚の証人(神は光だから)であることを表しているんだそうだ。

フランドルで生まれた4分の3正面像の肖像画文化が、欧州各国に広がっていく。例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』にしても、4分の3正面像が採用されている。フランスでも、フランソワ1世の時代に文化的遅れを必死で取り戻そうとしていた。ローマ教皇に冷遇されていた晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチを招いたのもフランソワ1世だし(それゆえに『モナ・リザ』はフランスにある)、イタリア美術とフランス貴族趣味、フランドル人の芸術家たちの影響が融合しあってうまれたのがフォンテーヌブロー派と呼ばれる流派。時は16世紀前後。そんなフォンテーヌブロー派を代表するのが、肖像画『フランソワ1世』。

そんなフランソワ1世のライバルの一人だったのが英国王のヘンリー8世。妻をとっかえひっかえし、その挙句に英国国教会を始めた、かの有名人。英国国教会もプロテスタントなので、聖像崇拝は禁じられていたのだが、あえて真正面を向いた肖像画『ヘンリー8世』を描かせることで「英国でイッチ偉いのは、俺だぜ」というトランプ大統領なみの宣言をしている。そんなお騒がせ俺様キャラのヘンリー8世の後に続いたのが、メアリ1世、そしてエリザベス1世への繋がる。ヴァージン・クイーンと呼ばれる彼女だが、この呼称は生涯独身であったからだけではなく、マリア様にかけて自らが偶像になることによって、カトリックとプロテスタントというややこしい宗教問題の調和を図ろうとしたのだという。また、何枚もの肖像画が残されているが、この画にも皺が描かれておらず、やはり女性としての見栄があったのではないだろうか、と木村氏は推測されていますです。

さて、再度フランスに戻って画の発達を見てみると、すでに確立されたいた独自の優美様式、スレンダーでS字曲線を描く人物が美しいという美意識が画にも表されてくる。フォンテーヌブロー派の『狩の女神ディアナ』は、フランソワ1世の息子のアンリ2世の愛妾だった女性で貴婦人が古代の『女神や神話の登場人物に扮する肖像画のハシリになったもの。中々、フランスらしいエロさで良いですね。

その後、ブルボン王朝が始まり、太陽王ルイ14世の時代には、王立絵画彫刻アカデミーなるものが誕生し、事もあろうかこの機関で何が美しいのか、何が格が高いのかを正式に決めたのだという。個人の感性などというものは一寸足りと言えども、入り込む余地がなかったんだね。この時代を代表する画家が二コラ・プーサンで、『サビニの女たちの略奪』の主題には絶対王権が確立途中にあったフランスにおいて「国のためには多少の人民の犠牲は必要なのだ」という政治的メッセージも読み取れるのだと言う。

そして、18世紀のベルサイユ宮殿の時代。ルイ15世の公妾であったポンバドゥール夫人の肖像画がメッセージとして伝えているものは、彼女の強烈な自尊心。"公妾"という存在ではあったが、政治的な力もあったらしい。なにせ、国王ルイ15世が禁じた百科辞典の発禁処分を覆したのも彼女の力なのだとか。単に美しい女性というだけではなく、頭もよかったらしく、そのことが彼女の肖像画の中で書物や手紙という存在をとおしてしっかりとメッセージ発信されている。そして、ブルボン王朝最後の女王マリー・アントワネットも、国民の間での不人気を挽回するために、子供たちに囲まれた愛すべき存在をアピールする肖像画を残したが、時はすでに遅く、革命によって断頭台の露と消える運命であった。メッセージの送り時を間違えたんだな。メッセージはよくても、タイミングを逸すると商機を逃してしまう。「時代が早かったんだ」というのが、能力のないマーケターの強がりであり言い訳なのだが、まさにその言葉がピタリと当て嵌まっていて可愛そう。

一方、欧州の雄、17世紀のイギリスでも肖像画が独自の進化を遂げている。アンソニー・ヴァン・ダイクがこの時代を象徴する画家で、彼は依頼者であるモデルたち(=時の権力者たち)のイメージ戦略を巧みにやってのけた。生真面目だが風采の上がらない国王チャールズ1世のために描いた画では、国王の近寄りがたい存在感を醸し出し(確かに、画上でみるこの男にはカリスマ性とか、オーラとかいったものが全く存在しないね)、7代目ダービー伯爵の肖像画『第7代目ダービー伯爵と夫人と娘』では、伯爵が持つ地所をバックに、夫人の出所(ブルボン家とオランダ建国の立役者の血筋)をしっかりと描いている。モデルが描いて欲しいと求める地位や心理状態を巧みに画の中に再現することで、うぬぼれや自尊心を上手く擽っていたんだね。この手法が18世紀イギリスの肖像画の基礎になっていくのだという。やはり、イギリス人は自惚れ屋でいけ好かない奴等だね。
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