誠に失礼な言い方で申し訳ないとは思いつつ、料理人がこのような論理的な文章を書くということに驚くとともに大いなる発見がありました。
著者紹介を読むと、徳島と東京での日本料理店をやっておられる上に調理師専門学校の校長のされている方だと判ります。日本料理にのめり込んだ方のエッセイですから、料理や料理店経営に関する面白話に加えて美味しい料理が醸し出す雰囲気だけでも文章から楽しめないかと期待して読み始めたのですが、期待に反して小山さんの文章は硬派です。決して文章が堅苦しいとか、料理道を四角四面に語っているというのではありません。文章はとてもまろやかで判りやすく、喉越しがとっても良い文章です。
ただ、書かれている経験と知識が論理にしっかりと裏づけされていることが他のグルメ本と決定的に異なっており、読んで愉しいと同時に目からウロコ状態でもあります。
例えば、出汁の旨味に対するフランス人シェフの質問に対してこのように回答しています。
君達のフォンはたったの三日にすぎない。この鰹節は三年かかっている。昆布に至っては五年だ。三年と五年がたったの一分間、ここでマリアージュしているのだ。鰹節は三年間かけて寝かし、黴をつけ、発酵させることで余分なものをだし、本当にピュアで純度の高いものにして作り上げている。そうやって出来上がったものを、今度は逆に瞬時に削る。その削りたてのものを、最後は一瞬のときを狙って引く。これが出汁。長年の積み重ねと瞬時の技がここに凝縮しているのだ
出汁が大切だとは知りながらも、ここまで説得力がある説明ができる料理人が何人いますか?
また、天麩羅における衣の役割を高温の油から素材が持つ旨味(=水分)を守る為のガード役と解説しています。この程度は、他の本にも書いてあることですが、この人の凄さは、油の中に水を入れるという危険な構図をあらためて思い出させることで天麩羅という料理の特異性を指摘しつつ、衣を「中身の素材を守った犠牲の成れの果ての姿」と詩的に表現していること。衣の役割なら知ってはいましたが、高温の油の中に水分たっぷりのものを入れるという普通では避ける調理法であることは今更ではありますが気付きました。
この人の凄いところは、ここで止まらずに天麩羅の限界も見切ったこと。衣に火が通る速度と中の海老に火が通る速度に差があるとして、天麩羅の衣が「海老を油の海に入れていくためのウェットスーツとして最高なものではない」と見抜いています。それ故に、ロビションが作る「ラングスティーヌ」を称して「天麩羅を作った人が夢見たユートピア」と呼んでいます。
天麩羅や出汁に限らず、我々がフワーっとした理解の中でしか捉えていないことを小山さんのように理を解き明かして説明することができれば、我々が何と無しに感じている日本の良さ(昔からの伝統だけではなく、新旧入り混じった現在のあるがままの日本)も胸を張って世界に誇れるようになるんだろうと思いながら、最初の目論見とは違った愉しみでこの本を読み進めております。
『恋する料理人』(小山裕久著)
著者紹介を読むと、徳島と東京での日本料理店をやっておられる上に調理師専門学校の校長のされている方だと判ります。日本料理にのめり込んだ方のエッセイですから、料理や料理店経営に関する面白話に加えて美味しい料理が醸し出す雰囲気だけでも文章から楽しめないかと期待して読み始めたのですが、期待に反して小山さんの文章は硬派です。決して文章が堅苦しいとか、料理道を四角四面に語っているというのではありません。文章はとてもまろやかで判りやすく、喉越しがとっても良い文章です。
ただ、書かれている経験と知識が論理にしっかりと裏づけされていることが他のグルメ本と決定的に異なっており、読んで愉しいと同時に目からウロコ状態でもあります。
例えば、出汁の旨味に対するフランス人シェフの質問に対してこのように回答しています。
君達のフォンはたったの三日にすぎない。この鰹節は三年かかっている。昆布に至っては五年だ。三年と五年がたったの一分間、ここでマリアージュしているのだ。鰹節は三年間かけて寝かし、黴をつけ、発酵させることで余分なものをだし、本当にピュアで純度の高いものにして作り上げている。そうやって出来上がったものを、今度は逆に瞬時に削る。その削りたてのものを、最後は一瞬のときを狙って引く。これが出汁。長年の積み重ねと瞬時の技がここに凝縮しているのだ
出汁が大切だとは知りながらも、ここまで説得力がある説明ができる料理人が何人いますか?
また、天麩羅における衣の役割を高温の油から素材が持つ旨味(=水分)を守る為のガード役と解説しています。この程度は、他の本にも書いてあることですが、この人の凄さは、油の中に水を入れるという危険な構図をあらためて思い出させることで天麩羅という料理の特異性を指摘しつつ、衣を「中身の素材を守った犠牲の成れの果ての姿」と詩的に表現していること。衣の役割なら知ってはいましたが、高温の油の中に水分たっぷりのものを入れるという普通では避ける調理法であることは今更ではありますが気付きました。
この人の凄いところは、ここで止まらずに天麩羅の限界も見切ったこと。衣に火が通る速度と中の海老に火が通る速度に差があるとして、天麩羅の衣が「海老を油の海に入れていくためのウェットスーツとして最高なものではない」と見抜いています。それ故に、ロビションが作る「ラングスティーヌ」を称して「天麩羅を作った人が夢見たユートピア」と呼んでいます。
天麩羅や出汁に限らず、我々がフワーっとした理解の中でしか捉えていないことを小山さんのように理を解き明かして説明することができれば、我々が何と無しに感じている日本の良さ(昔からの伝統だけではなく、新旧入り混じった現在のあるがままの日本)も胸を張って世界に誇れるようになるんだろうと思いながら、最初の目論見とは違った愉しみでこの本を読み進めております。
『恋する料理人』(小山裕久著)