何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

テレビ局にとって「顧客」とは誰か

2007-01-25 23:05:46 | 思いつくまま
[裏切りの演出]中 「結果出せ」孫請け重圧 朝日新聞 2007.1.25 より

 情報番組の制作会社に勤める20代男性は、連日の徹夜が当たり前でも年収は約300万円だ。
 取材した外国人の発言がテレビ局のプロデューサーに「面白くない」と言われ、吹き替えを「要するにこうも言えるという、ギリギリ許される範囲」に手直ししたことがある。「捏造はあってはならない。でも、プレッシャーで本当に追い詰められた時、絶対しないと言い切れる人はこの世界にどれだけいるだろう」

 「結果出せ」というところの「結果」とは何か。

 いけないとわかっていても、そういうことが常態化してくると、そうでもしなければ「もうその世界では生きていけない」ようになってしまう。それでも、魂を売らずに、おかしいことはおかしいと言い切れる人はまだいいが、誰しもがそう強くはない。追い詰められて、限りなく黒に近いのに、完全に黒じゃない、というあたりでかろうじて良心を保たざるをえない。まさに極限状態。“ギリギリ許される”と思っていても、捏造の張本人だと世間は言うだろうが、別の意味で被害者でもある。彼は、再生できるのだろうか。もう元には戻れないところまできてしまっていないだろうか。

 結果を求められても、おかしいことはおかしい、できないことはできない、しかし弱い立場に置かれたものができるのは、最後は手を出してはいけないところに手を染めてしまうことしか残っていない。

 番組制作を丸投げするという、ずさんなアウトソースにも問題がある(ISO9001,7.4購買の不適合)。しかし、スタッフを追い詰めた“黒幕”は誰なのか、黒幕は(視聴者ではなく)何を優先していたのか、その構造にメスを入れて、膿みを出すべきではないかと思う 
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