何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

ペコちゃんに罪はない、が・・・

2007-01-11 14:35:03 | ISO9001奥が深いか浅いのか
 不二家、全店で洋菓子販売休止 期限切れ牛乳使用が判明(朝日新聞) - goo ニュース

 大手菓子メーカーの「不二家」(本社・東京)が昨年10月から12月にかけて、消費期限が切れた牛乳を使ってシュークリーム約1万6000個を製造し、関東などに出荷していたことが分かった。同社は事実を把握した後も、公表や回収の呼びかけをしなかった。一部報道で表面化したことを受けて11日に記者会見し、当面、全国約800の直営店・フランチャイズ店で洋菓子販売を休止すると発表した。

 製品の不適合があったにもかかわらず、それを承知しながら、何の対策もとらないまま、さらに公表もせずにいた。情報の隠蔽、顧客の裏切り、・・・厳しく言えばそんなふうにもなろう。

 不二家、期限切れ牛乳使用シュークリーム 福島など出荷 河北新報 2007.1.11 より一部抜粋

 不二家は「過去にも数回、同様のことがあった」としており、期限切れ牛乳の使用が常態化していた疑いもある。
 シュークリームは出荷前の細菌検査で問題はなく、同社に対して現在までに健康被害の報告はないという。同社は「社内規定に反する行為」と責任を認めているが、食品衛生法に触れる可能性も浮上している。
 不二家によると、社内の諸問題改善に向けて設置したプロジェクトチームが昨年11月に調査したところ、埼玉工場の原料仕込み担当者が「11月7日消費期限の牛乳四ロット(60リットル)分を、11月8日に使用した」と証言。
 さらに担当者は「捨てると怒られる。においをかいで品質的に問題ないと判断したら使っている」と、これまでにも期限切れ牛乳を使っていたことを認めたという。

 不二家は昨年6月、ISO9001を認証取得した。埼玉工場ではなく、銀座の本社ではあるが。品質管理の重要性を認識していた証しであろう。逆に言うと、食品業の老舗にもかかわらず、いままで十分な体制ではなかったのかもしれない。

 「社内規定」とは、ISO9001による品質マニュアル等を含むのかもしれない。「社内の諸問題改善に向けて設置したプロジェクトチーム」とは、内部品質監査ではないかもしれないが、それをも含む態勢を指すのだと思われる。

 「捨てると怒られる」。こういう文化なのだ。誰が、どういう理由で怒るのか? 言うまでもないかもしれないが、捨てるのはけしからんと考える理由や意識こそ、改められるべきだろう。

 「消費者の信頼を深く裏切り、おわびする」と記者会見で社長が述べている。消費者は食品が安全だであることは当然だと考えている。期限切れの材料など使われるはずがないと考えている。7.2.1の不適合か、工程において期限切れの材料など使うことになっていないだろうから、7.5の不適合か。
 これまでも類似例があったということだが、こういう事件ではいつも5.1(経営者の責任)または5.2(顧客重視)の不適合の存在を感じずにはいられない 
Comments (3)
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携帯からの投稿テスト

2007-01-10 23:01:15 | 思いつくまま
これは過日、熊本県人吉に出張した際に立ち寄った鰻屋「白石」の、うな丼の上です。美味しかったが、丼に入っていて欲しかった。


「(^^)〓 それとも、うっかり「うな重」って頼んでしまったか・・・
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気の緩みは、経営姿勢の反映か?

2007-01-10 14:53:51 | 薬局経営
 消費者の時代へ⑤ 製品事故「緩み」から(朝日新聞 2007.1.6)より転載

 対応 企業に義務づけよ PL法に詳しい島野康さん

―身近な製品の事故が相次いでいます。
 「消費者の安全が脅かされている。だが企業には、『誤った使い方をする消費者のほうが悪い』という姿勢が目立つ。(中略)製品が実際にどう使われるのかを観察する社会的責任をメーカーは果たすべきだ。(後略)」
―なぜ事故が続くのでしょうか。
 「安全性確保に対するメーカーの意識が緩んでいると感じる。製品の欠陥によって生命や財産に損害を受けたとき、被害者がメーカーなどに損害賠償を求めることができる製造物責任(PL)法が95年に施行された。

 消安法は前進

―昨年秋に、消費生活用製品安全法が改正され、企業に重大事故の報告義務が課せられます。効果はありますか。
 「企業に事故の報告を義務づけたことは前進だ。しかし、注文もある。報告の対象とすべき事故かどうかを判断する第三者委員会をつくるというが、企業寄りの視点から、すべて『消費者の誤使用が事故の原因』といった判定にならないよう委員の構成を考えてもらいたい」(中略)

―消安法改正とは別に、問題のある製品のリコール制度を提言していますね。
 「製品の欠陥を隠したり、問題を申し出てきた顧客にだけしぶしぶ対応したりする事業者が少なくない。製品に不具合を起こしたら積極的に修理、交換、払い戻しすることをメーカーに義務づける『総合製品リコール法』が必要だと考えている
 「問題の公表や回収の取り組みを積極的に行うことは、かえって企業のイメージを上げる。例えば松下電器は、石油温風機で死亡事故を起こしたときの対応が遅れ、厳しく批判された。しかし、回収を決めたあとは、チラシ配布やテレビCMを何度も繰り返したことで、企業イメージをばんかいしたのではないか」(後略)

 以上、転載終了

 薬局で提供するものは、薬という物とそれに伴う薬学的サービスとからなるが、製品を薬局サービス、消費者を患者さん(または利用者)、消安法改正を医療法改定(「調剤をする薬局」として、医療提供施設に規定)と置き換えてみると、そっくりあてはまるように思えた。

 医薬品の回収のみならず、車のリコールなど、サービスの提供に至るまで、消費者側の責任だと言って逃げる姿勢や態度はもはや社会に受け入れられない。そういう価値観が世の中にかなり構築されてきているとみてよいだろう。

 見つからなければよい、幸いにも隠し通せるなどというのは、最低にリスクマネジメントだ。顧客重視、社会的責任の観点がここでも根底にあるのだろう。そういうものから生まれる活動がなされていなければ、この先、存続していけないのではないだろうか。安全確保の気の緩みなどというのは、辿っていけば、経営姿勢に行き着くのではないだろうか 
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車の免許のない人に車を売る?

2007-01-09 19:53:05 | よくわからないこと
<前川容疑者>事故時のベンツ、02年免許取り消し後に購入 毎日新聞 2007.1.9

 残念な事件だとは思う。福留も後輩のやらかした事を遺憾に思っていた。“同じ釜の飯を食った仲”ならではの思いが交錯しているに違いない。

 ところで、ベンツが乗りたいのはいいとして、無免許にもかかわらず、購入するというのはいかがなものか。事件は適正な処分が必要としても、少しでも同情できるところはないか、情状酌量の余地はないのか、と思う人にとっては、ますますもって悲しい行動ではないかと思う。

 さらには、ディーラーが無免許かどうか確認せずに車を売っていた、というのがちょっと解せない。購入時に、車庫証明の提出が求められる。免許の有無はどうだったっけ? 自分の場合は、購入後しばらく時間が経っているので、免許を見せたかどうか、忘れてしまった。

 もしくは、無免許ではないことを、ディーラーは別のことで担保するかのように、確認しているのだろうか。親や祖父母が子供に買ってやるようなことを想定して、または会社のように特定の個人が運転するのではない場合など、免許の有無は問いようがないのだろうか。

 前川選手の行為は糾弾されるとしても、ディーラーが車を販売する段階で、防ぐことは不可能なのか。レンタカーを借りる際にも、免許の提示があったと思う。飲酒運転防止でも、完全といえないまでもあらゆる予防策が考慮されるように・・・。まさか無免許の人間が運転するなんて、想定外の仕組みになっているのか・・・ 
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ビジョンがない>危機感の中身が違う

2007-01-07 14:49:40 | 思いつくまま
 同じようなことを考えているように見え、同じような状態を目指しているようにも思えながら、行動もやりかたも違う。目的や使命に対する認識の違いが、その後の発想や行動の違いに現れてくる、ということは先に述べた。

 ビジョンがないように見える組織は、経営者にビジョンを問い質しても答えられない。ないかといえば、ないとは言わない。今心の中で最重要だと思っていることや、永遠のテーマのようなものがあれば説明できればよいのだが、うまく出てこない。
 また、あったとしても、それは公言できる次元のものかどうか。答えられないのは本音のレベルが低い、声に出すのははばかられるといった事情もあるのではないか。簡単に言えば、自分の今(の状態)を継続するために仕事をしているにすぎないのではないか、とふと思った。
(参考:『これから5年 かしこい頭の使い方』堀 紘一・著、PHP文庫、p.179)

 さらには、危機感の中身が違うのではないか。会社の存続とは、その意図するところは、経営者が自分の地位や権力の維持のように受けとめる考え方が根底にあるのではないか。
 一方、社会的な位置を与えられて、使命や責任を果たせるかどうかという考え方。自分たちが認められるのは社会の中で受け持つ機能を果たせて、ニーズに応える次元に高めてこそ、明日があると考える。
 中身がないのに、収益は得られない・増えない・続かない。実質のある業務にエネルギーが向いてこそ、経営面も好転する。

 こういうズレが何をしていこうと考えるのか、どういうやりかたをするのか、どの程度の力の入れようをするのか、食い違いを見せる。果たして、そういう組織の行く末はいかに 
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