何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

精神的圧力が苦痛なら、なぜ日勤教育をしたのか

2006-04-26 00:08:06 | JR西に学べ
 JR福知山線の脱線事故から1年。1年も経てば少しは風化するかと思ったが、事故の真相もわからず、JR西の体質改善も進まないようで、安全より利益が優先された結果であると、ますます確信が進む日々のようだ。

 今日の昼間にネットのどこかでみた記事だが(夜になって探しても見つからない)、JR西の福知山線の運転手は、あのマンションの脇を通るたびに事故のことを思い出して、ストレスになる、プレッシャーを感じるので、もう誰も住んでいないあのマンションを解体できないものか、と言っているという内容だった。

 日勤教育が、安全性の再教育じゃなくてパワハラにも似ていたのは、再び日勤教育でイジメられたくなかったら、二度と事故を起こすな、運転ミスをするな、時間に遅れるな、という、いわば精神的圧力による稚拙な再発防止にすぎなかったという側面である。小さい子供に、「悪さをしたらお灸をすえるから、しちゃダメだよ」というのと同じで、なぜそれがいけないのか、どうしたらよいのか、という教育でもなんでもないのだ。

 精神的プレッシャーが運転に負の影響を及ぼすので、その原因を解消しようじゃないか、というのであれば、なぜ真の教育とはほど遠い日勤教育のようなものを、当然のごとく課し、社内では上司に絶対服従のようなコミュニケーションの不通を放置しておいたのだろうか。矛盾していないか。それでもなお、日勤教育は一因じゃないとでも言うのか。

 厚生省が、省内に「薬害根絶の碑」を建てることに猛反対したのも、精神的圧力はタマラナイ、なんとしても避けたい、という思いだった。自分たちが責められるのは、もうコリゴリだと思うのだ。被害者は、責めるのではなく、常に何が大事で優先すべきなのかを忘れないための教訓として、プラスに活かして欲しいという思いとは正反対のものだ。

 エフュージョン尼崎が、薬害根絶の碑だとは言わないが、遺族が毎日、写真に向かって祈り、語りかけるように、何かを学び、教訓として根絶を誓って欲しいと思う。その明かしとして、信じられないほどの社内文化を構築し、利益より安全第一を、疑うことなくブレることなく、最大の目的として欲しいと思う 

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