何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

ホウレンソウの誤用・悪用・弊害

2006-06-28 10:40:56 | よくわからないこと
 いわゆるホウ・レン・ソウ、緊密な連携、情報共有化などとのたまい、行動規制、締め付け、強制しようとする風潮のいきすぎを感じていたところ、「本来の「ほう・れん・そう」が形骸化し、上司の自己満足になっている」(『成功者に学ぶ時間術』夏川賀央・著、成美文庫、p.137)をみて、あーこういう側面強いよなぁ、とちょっぴり納得した。

 「情報伝達のための報告ではなく、管理手段としての報告になっている」、「部下に徹底的に報告させて、部長はあーだこーだという--要するに教師がテストを出しているようなもの」というのだ。テストとまでは言わないが、自分に自信がないものだから、自分のホウレンソウはせずに、部下の情報を握って優越感に浸っているように思えて仕方がない。

 「もうウンザリする人は、無視して自分の判断で動くようになります。そうすると当然、他の人より売上実績が高くなる。すると、上司に刃向かっている人だけが成績を上げるという変な構造になるわけです。」。そういう結果もヘンであるが、ある意味当然とも言えて、上司にふさわしくない者が上司の座に座っていることが一番の原因なのだと思う。さらにその裏には、ふさわしくない者が座っているほうが都合のよい人も別にいやりして、私利私欲を優先した結果が、体制の矛盾を招いたといえる。そのために、ホウレンソウが踏絵のように使われているだけではないかと思う。

 「TDKの元社長、素野福次郎が、「忠誠心で社員を縛るのはナンセンスだ」と言っている。」(『会社は誰のものか』佐高信・著、角川文庫、p.216)を読んで、その裏づけ性を感じた。

 「「企業内の人間関係を、忠誠心を軸に云々するのは全くのピンぼけ」と直言する素野は、よそから“養子口”がかからないようでは一人前の社員とは言えないと語り、だから社員が他の会社に替わりたいと言えば、祝福して送り出す。
 「社員に一方的に尽くせという経営者と、そんなトップに忠誠心でおもねる社員がくっついたら、その企業の先行きは知れているという素野の言は至言だろう。

 力量がない経営者や上司は、部下を育てたらすぐ抜かれてしまったり、自分の足跡のひどさを露呈させると自覚しているのかどうか、とにかく部下を育てようとしない。成長を認めない。どこまでいっても、部下の実力は自分より下に置く・見るという共通性を持っているようだ。
 たまたまその地位にあるから、その者の見識がすぐれているのではない。判断能力に長けているのでもない。真の実力は誰がもっているか、それは社会や周囲が見れば、すぐわかることだろう。業績や現状を見れば、その者たちの実力もわかるのである 

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