薬局のみならず、医療において、患者さんにとっても、また医療提供側にとっても事故が起きることは残念なことである。けっして望むものではない。
そこで、しばしばこのような方針が掲げられているのを目にすることがある、「調剤事故をゼロにする」。本気でそう思っているのだろうか、数字上、ゼロにできると心から思っているのだろうか。それとも、意気込みとしてそのくらいでなければいけないと言う意味なのだろうか。
「人は誰でも間違える」。これも医療の世界で、もはや定説のように言われることである。開き直りでそういうのではなく、ヒトが関与する以上、100%常にカンペキなどということなどありえず、そういうことを想定内として万全の体制を組むべきである、ということではないかと思う。わずかなミスが命取りにつながる、飛行機やロケットでさえも、万全を期したつもりでも、事故は起きている。
そこでだ、「調剤事故ゼロ」という方針は、どうだろうか。インシデントは当然あるが、そこで回避されれば、アウトプットされる段階では事故ゼロは可能なのだろうか。どうしたらゼロにできるのだろうか。薬局の現場で、現実に、事故ゼロなんてことはないではないか。もちろん監査もし、それなりに対策はとっているのだが、甘いのだろうか。医療とて同様だ。
「問題解決入門」(佐藤允一・著、ダイヤモンド社)によると、
目標 達成すべき事柄、到達すべきレベルを示したもの。目標は、目的を今年度どの程度達成するかを数量的に示したもの。
方針 今年度の目標を達成するために、今年度どのような施策をとるか、その考え方、やり方を示したもの。目標達成の具体的方法論。
と定義されている。事故をなくしたいという気持ちはわかるが、それが目標として示され、ゼロ件が達成できるレベルかというと現実離れしていると言わざるを得ないし、方針という具体的方法かというと、そうでもない。どちらにしてもヘンだ。「事故ゼロ」とは、願いや意気込みのようなものではないか。
もうひとつ、事故ゼロががんばれば手の届くところにあったとしても、これが目標として掲げられることに、腑に落ちない点がある。それは、事故ゼロは数量的に示された目安であって、結果を問うものだからである。結果に至れば、それを喜んで、途中の過程に目が向けられることが薄まるからである。
数値的結果の達成が目標とされるのであれば、
・途中の経過が自動的に肯定されて、改善が進まなくなる
・結果を求めるあまり、作為や意図的な要素が入り込む(極端にいえば、事故があっても報告しなかったり、隠すことが起きる)
・結果に至るにあたり、そこに偶然や自然現象などが要因として絡んでいるのであれば、その影響が認められ、そこにかかわったスタッフの努力が評価されず、モチベーションを低下させる
ことになり、図らずもそれはアウトプットに至るまでのプロセスが軽視されることになり、質の低下を招き、ひいては事故発生の原因となるのではないか。
つまり、数値で表されるような表面的な結果を求めると、結果は得られない のではないだろうか。逆説的なことである。
であるならば、目標だぁ、方針だぁ、と掲げるものは、その過程を高めることを最大の課題とすべきではないかと考える。これは売上や利益にも当てはまり、これらを求めるのであれば、最もしてはいけないのはこれらを最大の目標や方針などと掲げることであり、課すことだ。すべきことは、質の向上であり、顧客から製品を評価してもらうための活動ではないかと考える
そこで、しばしばこのような方針が掲げられているのを目にすることがある、「調剤事故をゼロにする」。本気でそう思っているのだろうか、数字上、ゼロにできると心から思っているのだろうか。それとも、意気込みとしてそのくらいでなければいけないと言う意味なのだろうか。
「人は誰でも間違える」。これも医療の世界で、もはや定説のように言われることである。開き直りでそういうのではなく、ヒトが関与する以上、100%常にカンペキなどということなどありえず、そういうことを想定内として万全の体制を組むべきである、ということではないかと思う。わずかなミスが命取りにつながる、飛行機やロケットでさえも、万全を期したつもりでも、事故は起きている。
そこでだ、「調剤事故ゼロ」という方針は、どうだろうか。インシデントは当然あるが、そこで回避されれば、アウトプットされる段階では事故ゼロは可能なのだろうか。どうしたらゼロにできるのだろうか。薬局の現場で、現実に、事故ゼロなんてことはないではないか。もちろん監査もし、それなりに対策はとっているのだが、甘いのだろうか。医療とて同様だ。
「問題解決入門」(佐藤允一・著、ダイヤモンド社)によると、
目標 達成すべき事柄、到達すべきレベルを示したもの。目標は、目的を今年度どの程度達成するかを数量的に示したもの。
方針 今年度の目標を達成するために、今年度どのような施策をとるか、その考え方、やり方を示したもの。目標達成の具体的方法論。
と定義されている。事故をなくしたいという気持ちはわかるが、それが目標として示され、ゼロ件が達成できるレベルかというと現実離れしていると言わざるを得ないし、方針という具体的方法かというと、そうでもない。どちらにしてもヘンだ。「事故ゼロ」とは、願いや意気込みのようなものではないか。
もうひとつ、事故ゼロががんばれば手の届くところにあったとしても、これが目標として掲げられることに、腑に落ちない点がある。それは、事故ゼロは数量的に示された目安であって、結果を問うものだからである。結果に至れば、それを喜んで、途中の過程に目が向けられることが薄まるからである。
数値的結果の達成が目標とされるのであれば、
・途中の経過が自動的に肯定されて、改善が進まなくなる
・結果を求めるあまり、作為や意図的な要素が入り込む(極端にいえば、事故があっても報告しなかったり、隠すことが起きる)
・結果に至るにあたり、そこに偶然や自然現象などが要因として絡んでいるのであれば、その影響が認められ、そこにかかわったスタッフの努力が評価されず、モチベーションを低下させる
ことになり、図らずもそれはアウトプットに至るまでのプロセスが軽視されることになり、質の低下を招き、ひいては事故発生の原因となるのではないか。
つまり、数値で表されるような表面的な結果を求めると、結果は得られない のではないだろうか。逆説的なことである。
であるならば、目標だぁ、方針だぁ、と掲げるものは、その過程を高めることを最大の課題とすべきではないかと考える。これは売上や利益にも当てはまり、これらを求めるのであれば、最もしてはいけないのはこれらを最大の目標や方針などと掲げることであり、課すことだ。すべきことは、質の向上であり、顧客から製品を評価してもらうための活動ではないかと考える
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