何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

入院時の服薬管理をスムーズにバトンタッチ

2005-10-03 15:35:04 | 薬害は人災だ
 しばらく前から、病院薬剤師において、入院時に(=入院直前まで)服薬している薬を把握して、すみやかに入院加療を進める活動が脚光を浴びている。
 当り前といえば当り前、前からやっていたといえばそう、近年それを 病院薬剤師の重要な活動のひとつとして位置づけた ことに意味がある。

 目新しいことでない、といったら身も蓋もないが、位置づけないと医者に任せていたり、看護師が行っていたり、薬のことなのに専門家がサボっていたことにもなってしまいかねない。それこそ薬剤師の存在意義を失いかねないところだった。

 外来から入院へと治療の場が移るということは、開局薬剤師から病院薬剤師へ患者さんを引き渡すことになる。ということは、引継ぎの場面で、薬剤師間に何らかの連携があってもよい と考える。いや、あるべきだろう。

▽入院時には被保険者証とともに、お薬手帳等の服薬の様子がわかるものを持参させる
▽患者さんの了解(同意)のもと、さらに確認したいことがあれば、開局側はそれに応じる意思がある

 ことを明確にするとよいのではないか。とくに後者は、患者さんを通じて、病院薬剤師側に伝えるもので、いわば 入院先の医療機関(薬剤部)に開局側からトラックバックを送るようなもの である。

 患者さんは、どこに入院するかわからない。薬剤師同士が、特定の医療機関同士で知り合っていても、患者さんの引継ぎには限界がある。お互いが見ず知らずでも、患者さんの治療をスムーズに継続するうえで、前向きに係り合う意思表明は重要だろう。

 このことは、薬剤師がその存在を示すことはもちろんだが、そもそも(それ以前に)患者さんのメリットに繋がることを、患者さん自身にも知らせておくとよい。

●入院前の服薬状況を伝えることは、入院後のすみやかな治療計画の実施につながること(たとえば副作用で入院したのであれば、原因を把握しやすい)
●他院で服薬中の薬があるのなら、院内採用薬を考慮して、その薬の手配(準備)が容易になること
●入院後の服用薬(注射等も含む)と、それまでの服用薬との間で、相互作用や重複投与を避けることができること

 など、患者さん自身のメリットが最大の理由である ことを前面に、推進してはどうかと思う。薬薬連携の新しい展開にもなろう(おおげさかな)。

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薬害の原因は薬だと思っていませんか?

2005-10-03 13:45:47 | 薬害は人災だ
薬害の原因は薬だと思っていませんか?

 正直言って、このタイトルを見たとき、少し驚いた。ギョッとした。その通りだと思うんだけど、ついにそこまで言うか、言う時が来たのか、と一瞬身震いした。

 このタイトルは、全国薬害被害者団体連合会(薬被連) による 薬害根絶フォーラム のテーマだ。

 薬という化学物質そのものに、罪はない。それを世に出したのは誰か? 杜撰な使い方をしていたのは誰か? 被害者をいたずらに増やしてしまったのは誰か? そのようなことを問い掛けている。

 自然発生的に起こったのではない。そこには何らかの立場にいる「人」が係っているのだ。ということは、それぞれの場面で薬に携わる「人」が、必要な役割を果たしていけば、薬害は防げるということだ。
 薬害という、許すことの出来ないレベルから、副作用というやむをえないレベルに、不都合を抑えることができる。

 しかし、薬害に「歴史」があるように、必要なことが行われてこなかった。それは作業的に、あるプロセスが組み込まれていなかったのだろうか。それとともに、倫理的なものが欠けていたこともあるだろう。科学者としての使命感も必要だ。

 いまサリドマイドが改めて医薬品として復活しようとしている。薬の世界から追放されたものが、過去の教訓をふまえることで、復活が認められようとしている。果たして、二度と同じ被害が今後発生しないと言い切れるのか?
 使われ方に厳しい管理をすることで、この世から「薬」としての居場所を失った物質に、再びチャンスを与える道が開かれるのかどうか、薬害の歴史の中で“罪をかぶせられた他の物質”も、固唾を飲んでサリドマイドの使われ方を見守っている。ひっとしたら、開発段階で、治験でやはり世にでることを許されなかった物質だって、オレも晴れてシャバに出ることができるかも、なんて期待を持ってみているかもしれない。

 サリドマイドにせよ、薬害はなくさねばならない。しかし薬害がなくなれば、それを知る人が減って、やがては忘れ去られて、喉もとすぎたころに被害が繰り返されるおそれはないのだろうか。薬害の歴史、その事実だけは(特にその本質について)風化させることは許されないだろう。


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