何かをすれば何かが変わる

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薬局サービス向上は、医薬分業を守る

2005-10-25 14:02:39 | くすり雑感
 全国の保険薬局数が5万店舗を超え、医薬分業が50%を超えた昨今でも、ある時、院外処方せんの発行が停止される(処方せんを引き上げられる)という話を聞く。多くの場合、マンツーマン分業として、特定の医療機関(あるいは医院)と薬局とで始めたケースが多い印象だ。

 なぜ院外処方せんの発行をストップさせられてしまうのでしょうか。

 そりゃ強制分業じゃないからですが、医療機関あるいは医者の都合によるのが、大半でしょう。大義名分は違います。やはり院内でお薬を渡したほうが、患者さんのためだとか、自己負担金も安く、なんてことを言いますが、本音は、そのほうが自分たちにとって、都合がいいか、儲かるからにほかなりません。

 医薬分業の評価を、直接サービスを受ける国民が言うのではなく、医者が評価し、しかもそこに介入できる権利を有していること事態、おかしな話なんですが、ここで言いたいのはそんなことではない。

 なぜ薬局は院外処方せんの発行を停止されてしまったのか ということ。それを防ぐ手はなかったのか、何がまずかったのか、ということ。

 医薬分業がまだ進み始めた頃は、必要悪のようにマンツーマン薬局が雨後の筍のように乱立されてきた。出せば儲かるとばかりに、バブル分業に突入した。ポリシーもあやふやで、医者のご機嫌をとって関係を維持しながら、まるで処方せんという人質を握られているかのようだった。確かに強制分業じゃないから、制度上はそうかもしれない。

 しかし分業率が30、40、50%と増えるに従って、いつまでも門前の医者に小判ザメのようにくっつくのが薬局ではなくなった。オープン当初に取り交わした、様々な便宜や取り決めも、時代の推移とともに「破棄」してこなければいけなかった。そもそも、そんな裏取引きをして出店してきたことが、間違えだったのだけど。

 そして何より、医者との連携という建前のもと(つまり、医者の言うなりにしていれば、薬局の自助努力はさほどいらないということ)、たいして患者さんにサービスをしてこなかった。薬局としての使命、役割、責任を果たしてこなかったことが問題なのだ。薬剤師の魂を売ってしまったかのように。

 何もして来ないに等しいから、医者側がちょっと人や機械を導入すれば、容易に院内に処方せんを引っ込めることができるのだ。そこで患者さんが、院外でもらいたいと言っても、同じことが院内でもできるから、と言われれば、患者さんは「診察してもらわなければならない」という弱みも手伝って、あまり反論もできない。つまり、分業を守ってくれない。守ってあげられない。

 もうおわかりだろう。薬局を守ってくれるのは、制度ではない。患者さんなのだ。患者さんに、薬局ならではのサービスをして来なかったツケが、そうさせたのだ。院内に戻しても、とてもそこまではできないよな、というくらい活動をしていればそうならなかった。ヒトと機械を入れられたら、すぐ院内でも調剤ができる程度にしか、してこなかった。いくら服薬管理だの、情報提供だの言っても、機械に頼るような程度では、防御できないのである。

 処方せんを引っ込められようものなら、患者さんから、あれやこれやと困る、あの薬局でも薬をもらいたい、という大合唱が起きるほどでなければならないくらいにしておく必要があった。

 それでも力づくで強引なことをやる医者はいるが、薬局における患者志向のサービスとは、処方せん発行停止という側面からも、自らを守っていることを十分、心しておきたい 

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