何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

憲法九条、いまこそ旬

2005-10-10 23:55:36 | Book Reviews
 『薬害が消される』という本があったが、いま卒業してくる医者や薬剤師が、薬害についてほとんど知らずに、臨床の場に出ようとしていて、学ぶべきことを漏らして、ともすれば同じ過ちを起こしかねないことが危惧されている。

 戦争もそうなのかもしれない。次第に、戦争を語ることができる人が減っている。その愚を、その悲惨さを、日本で見られたことを、正しく受けとめることができなくなっているようだ。
 だから、憲法九条の意義やその成り立ち、九条が我々を、その後の日本をいかに守ってきたのか、正しく実感できにくくなっているのではないか。

 『憲法九条、いまこそ旬』(岩波ブックレットNo.639) ISBN 4-00-009339-8

 これは「九条の会」が発足したときの記念講演会のまとめである。戦争を、武力を、使わずにはいられない国の人々は、きっと九条の存在を何よりも羨ましく思っているのではないだろうか 

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片目を失って見えてきたもの

2005-10-10 22:12:15 | Book Reviews
 そういえばなんとなく目がヘンだなぁ、とは思っていたが、義眼だとは思わなかった。

 『片目を失って見えてきたもの』 ピーコ・著(文春文庫)

 少し年月が経って書かれたものだから、いつもの語り口調を思わせるふうで、あっけらかん気味に書いているけど、本当はその何倍もいろいろな想いが頭の中を巡ったのであろう。やはり健常なときにいくら相手の気持ちをわかろうとしていても、それなりにわかったと思っていても、その時は気づかず、その場に置かれてみないとわからないもの、実感できないもの、頭でわかっているようで心で受け入れきれていないものなど、誰しもがあるようだ。これは仕方ないのかもしれない。だから、がんになっても、それまでと全く変わらずにいる人なんて、非常に稀な存在だと言える。

 タレントだから、人脈も一般人とは違う、それなりの人脈があるのは当然なのだが、それにしてもなんか幸せそうなのだ、ピーコは。がんに冒されて、常に再発や転移に怯える毎日だろうに、なぜか豊かな心でい続けるのだ。これは、医者ががんになった時には見られないように思える。病気に対して、知識も戦う力も持った人間と、医学とは別な世界に才能を備えた者との違いなのだろうか。

 誰しもができることならがんとはつきあいたくないと思っているだろうが、もしがんになってしまったとして、その後自分の心境があるレベルに到達できるのなら、ピーコのようにすらなりたいと思う。
 健康なときに悩んでいた問題が、肩の力が抜けたようにほぐれていって、解決・・・というんじゃないが、乗り越えられて小さな、過去の出来事に昇華していく、ある種の幸福感を感じさせる。

 闘病の手記、もっと多くの人のそれに触れてみる必要がありそうだ 
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女医が乳がんになったとき

2005-10-10 21:39:47 | Book Reviews
 医者が自らの闘病記を著したものは珍しくないが、記憶にある範囲では男性医師のそれが圧倒的に多いような気がして、女医の場合はどうなんだろう、、、というのが読む前にあった。医者だから、およそ自分の病気の診断も予後もよくわかってしまうわけで、そこでの葛藤や、自分が患者の立場になってようやく患者の気持ちに気づいた、、、なんてお定まりのコースかな、そうであって欲しくないが、、、という期待で読み始める。

 『女医が乳がんになったとき』(ぶんか社文庫)ISBN 4-8211-5009-3

 男性の医師との違いは、健康面、仕事面に加えて母親としての責務を負っているところ。その点、男性には父親としての側面があるはずなのだが、仕事で責任を果たすことが、あたかも背中で子どもに語りかけているようでもあり、そこまで生活臭が前面に出ていないような気もする。精神的な重荷の性質が違うようだ。

 しかし、やはり医者だ。自分の治療方針を探り、選択し、健康を保ち、自ら身体的側面で活路を切り開くストーリーになっている。それがほとんどと言ってもよい。そういうことができるのも、やはり医者ならではの「幸せ」なのかもしれない。

 でも、よくよく考えてみれば、医者でがんを患うなんてことは、珍しくもなんともない。それを公けに手記にするかだけかもしれない。離婚のくだりは、“迫力”があったが、その他は残念ながらお定まりの葛藤の域を出ているようには思えなかった。

 目の前の患者に、人として興味を持つ医師
 「だからどうした」というのだろうか。当り前のことだと思うのだが。

 お勧め度 ★★★☆☆
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