マラソン1年目は、10km大会に何回か出ただけでした。
マラソン大会に出た理由は「選手」という肩書きが欲しかっただけですから、生まれてこの方運動とは無縁の中年が「選手」という立場になれただけで満足していました。
やがてネット経由でマラソン仲間もできて、仲間から色々と刺激されたこともあってハーフマラソンとフルマラソンに挑戦してみようと思い立ちました。
2年目は本当にランナーになれた年でした。
この年の1月にハーフマラソンに挑戦したのですが、休日に10kmを1時間弱で走れるようにはなった程度で長距離は全く走っていない状態でのハーフは凄いダメージでした。
夜、足が痛くて寝返りがうてなくて、朝になったら足に凄い量の汗をかいていました。
今考えると足全体が炎症のような感じだったんでしょうね。
その数ヶ月後のはじめてのフルマラソンは32kmまでなんとか走りましたが、そこからは延々と歩く状態、なんとかゴールしたときには満足感はなく敗北感だけが残りました。
この時の悔しさというか情けなさがランナーとしての本当のスタートラインだったと思っています。
はじめて大会(10km)に出てからちょうど1年後でした。
そもそもフルマラソンに出た理由というのも、マラソンが趣味というなら一度ぐらいはフルマラソンを走っておかなきゃ、という程度のものでした。
名刺代わりの一発という程度でしたから二回目はないと思っていたのですが、悔しさと情けなさでもう一度挑戦することにしました。
半年かけてなんとか練習で30km走れるようになってから挑戦した二回目のフルマラソンは、今でも印象深いレースです。
初フルよりも40分も短縮して、しかも歩かずに完走できたのは大きな喜びでした。
まあ、歩かないといっても給水所では立ち止まってストレッチしたり、交通規制解除で歩道走になって信号待ちで何度も止まったりしましたが、それでもゴールしたときは満足感でいっぱいでした。
それでも5時間は切れないレベルでしたが、半年間、手探りで必死に練習してきた成果が出せたので嬉しかったし、努力は報われることを身をもって味わった瞬間でした。
この頃はまだ酒を飲んでいたので、マラソン仲間とレース後に一杯やるのが楽しみでした。
私は昼酒は飲まない主義だったのですが、マラソン後の酒だけは別枠、レースよりもそちらが楽しみでした。
毎月一回はレースに出て、そのたびにマラソン仲間と飲み、どんどん仲間が増えました。
仲間と一緒に草駅伝やリレーマラソンなどの集団競技を楽しんだり、一緒に遠征に行ったり。
仕事や近所付き合いといった人間関係と違って、なんの利害関係もなく、性別も年齢も職業もタイムも様々な人達との出会いは、本当に楽しいものです。
最初の数年は走るたびに自己ベスト更新という感じでした。
フルマラソンのタイムも5時間強から4時間半、4時間と、半年ごとに30分ほど速くなっていました。
4時間を切るころから伸びが短くなってきて、やがて年に数分しか短縮できないようになり、今では停滞どころか後退ぎみです。
酒をやめてからはマラソン仲間との飲み会にも徐々に足が遠のいてきました。
最初は年に一回は飲み会に顔を出していたのですが、やがて酔っぱらいを見るのが嫌になり、今では全く出なくなりました。
マラソン仲間との楽しい飲み会ですら酔っぱらいを見たくないのですから、仕事がらみの飲み会はどうしても断れないもの以外は一切行きません。
協調性のない人間と思われているでしょうけど、マイナス評価を承知で欠席しています。
この頃から大会には一人で参加して一人で帰るようになりました。
楽しく走るよりも常に記録を狙いたい、そのためには仲間とワイワイやりながら参加するよりも一人の方が身軽で合理的だからです。
市民マラソンは人の数だけ楽しみ方があります。
私のように遅いながらも数字を狙い続ける人、42kmでは物足りなくなって100kmマラソンに転向する人、自転車やトライアスロンに手を伸ばす人、仮装にハマる人、タイムは気にせずに走ることを楽しんでいる人。
どれが良いというわけではなく、たまたま私の周囲には私と同じレベル・同じ方向性の人が少なかったのも、マラソン仲間と疎遠になった理由の一つです。
もし同じようなレベルで同じベクトルを持った仲間がいたら、飲み会は別としても一緒に大会に出ていたりしていたと思います。
ところが私と同レベルの人は、あっという間にもっと速くなったり、あるいは3時間半で満足して仮装やウルトラマラソンなどに転向したりして、私とはレベルか方向性かが異なってしまう人ばかりでした。
定期的に練習会を開くような走友会だったら同じような人が見つかったと思います。
でも私のような遅足でヘビースモーカー(当時)にとって練習会を定期的に開く会は近寄りがたかった。
もともと体育会系ではないこともあって、なんだかそういった集団は苦手だったし。
なので練習会は開かないで飲み会中心集団の仲間と自然に仲良くなったというわけです。
別の走友会に入ることも考えたのですが、また新たな人間関係を築くのが面倒なのと、宴席に行かないと顔も売れないでしょう。
酔っぱらいのそばに近寄るのはまっぴらなので、飲み会が皆無の走友会でもあれば考えますが、そんなのないですよね…。
今は昔の仲間にたまに会う程度で、新たな出会いは求めていませんしチャンスもありません。
今の状態が私にとってはちょうどいい距離感ですが、練習会に出るような生活をしないと今の停滞は乗り越えられないような気もしていて、ここらは今後の課題です。
(続く)
マラソン大会に出た理由は「選手」という肩書きが欲しかっただけですから、生まれてこの方運動とは無縁の中年が「選手」という立場になれただけで満足していました。
やがてネット経由でマラソン仲間もできて、仲間から色々と刺激されたこともあってハーフマラソンとフルマラソンに挑戦してみようと思い立ちました。
2年目は本当にランナーになれた年でした。
この年の1月にハーフマラソンに挑戦したのですが、休日に10kmを1時間弱で走れるようにはなった程度で長距離は全く走っていない状態でのハーフは凄いダメージでした。
夜、足が痛くて寝返りがうてなくて、朝になったら足に凄い量の汗をかいていました。
今考えると足全体が炎症のような感じだったんでしょうね。
その数ヶ月後のはじめてのフルマラソンは32kmまでなんとか走りましたが、そこからは延々と歩く状態、なんとかゴールしたときには満足感はなく敗北感だけが残りました。
この時の悔しさというか情けなさがランナーとしての本当のスタートラインだったと思っています。
はじめて大会(10km)に出てからちょうど1年後でした。
そもそもフルマラソンに出た理由というのも、マラソンが趣味というなら一度ぐらいはフルマラソンを走っておかなきゃ、という程度のものでした。
名刺代わりの一発という程度でしたから二回目はないと思っていたのですが、悔しさと情けなさでもう一度挑戦することにしました。
半年かけてなんとか練習で30km走れるようになってから挑戦した二回目のフルマラソンは、今でも印象深いレースです。
初フルよりも40分も短縮して、しかも歩かずに完走できたのは大きな喜びでした。
まあ、歩かないといっても給水所では立ち止まってストレッチしたり、交通規制解除で歩道走になって信号待ちで何度も止まったりしましたが、それでもゴールしたときは満足感でいっぱいでした。
それでも5時間は切れないレベルでしたが、半年間、手探りで必死に練習してきた成果が出せたので嬉しかったし、努力は報われることを身をもって味わった瞬間でした。
この頃はまだ酒を飲んでいたので、マラソン仲間とレース後に一杯やるのが楽しみでした。
私は昼酒は飲まない主義だったのですが、マラソン後の酒だけは別枠、レースよりもそちらが楽しみでした。
毎月一回はレースに出て、そのたびにマラソン仲間と飲み、どんどん仲間が増えました。
仲間と一緒に草駅伝やリレーマラソンなどの集団競技を楽しんだり、一緒に遠征に行ったり。
仕事や近所付き合いといった人間関係と違って、なんの利害関係もなく、性別も年齢も職業もタイムも様々な人達との出会いは、本当に楽しいものです。
最初の数年は走るたびに自己ベスト更新という感じでした。
フルマラソンのタイムも5時間強から4時間半、4時間と、半年ごとに30分ほど速くなっていました。
4時間を切るころから伸びが短くなってきて、やがて年に数分しか短縮できないようになり、今では停滞どころか後退ぎみです。
酒をやめてからはマラソン仲間との飲み会にも徐々に足が遠のいてきました。
最初は年に一回は飲み会に顔を出していたのですが、やがて酔っぱらいを見るのが嫌になり、今では全く出なくなりました。
マラソン仲間との楽しい飲み会ですら酔っぱらいを見たくないのですから、仕事がらみの飲み会はどうしても断れないもの以外は一切行きません。
協調性のない人間と思われているでしょうけど、マイナス評価を承知で欠席しています。
この頃から大会には一人で参加して一人で帰るようになりました。
楽しく走るよりも常に記録を狙いたい、そのためには仲間とワイワイやりながら参加するよりも一人の方が身軽で合理的だからです。
市民マラソンは人の数だけ楽しみ方があります。
私のように遅いながらも数字を狙い続ける人、42kmでは物足りなくなって100kmマラソンに転向する人、自転車やトライアスロンに手を伸ばす人、仮装にハマる人、タイムは気にせずに走ることを楽しんでいる人。
どれが良いというわけではなく、たまたま私の周囲には私と同じレベル・同じ方向性の人が少なかったのも、マラソン仲間と疎遠になった理由の一つです。
もし同じようなレベルで同じベクトルを持った仲間がいたら、飲み会は別としても一緒に大会に出ていたりしていたと思います。
ところが私と同レベルの人は、あっという間にもっと速くなったり、あるいは3時間半で満足して仮装やウルトラマラソンなどに転向したりして、私とはレベルか方向性かが異なってしまう人ばかりでした。
定期的に練習会を開くような走友会だったら同じような人が見つかったと思います。
でも私のような遅足でヘビースモーカー(当時)にとって練習会を定期的に開く会は近寄りがたかった。
もともと体育会系ではないこともあって、なんだかそういった集団は苦手だったし。
なので練習会は開かないで飲み会中心集団の仲間と自然に仲良くなったというわけです。
別の走友会に入ることも考えたのですが、また新たな人間関係を築くのが面倒なのと、宴席に行かないと顔も売れないでしょう。
酔っぱらいのそばに近寄るのはまっぴらなので、飲み会が皆無の走友会でもあれば考えますが、そんなのないですよね…。
今は昔の仲間にたまに会う程度で、新たな出会いは求めていませんしチャンスもありません。
今の状態が私にとってはちょうどいい距離感ですが、練習会に出るような生活をしないと今の停滞は乗り越えられないような気もしていて、ここらは今後の課題です。
(続く)