窓越しに ふくら雀を見てをりぬ
近頃吾も少し肥えたり
18年3月19日 日経 横浜 若月圭子様作
この俳句を読んで思い出したことがある。浜松町駅から出ているモノレール。
途中に流通センターがある。その場所で全国骨董祭りが年4回開催されている。
500店ほどが全国から出店する。毎回通っているうちに6店のお馴染みの店
が出来た。様々な買い物をしたが、なかで妻が購入した、藍色で施された小皿、
それが「ふくら雀」と称する陶器であった。今でも,ふくら雀の小皿は良く食
卓に登場している。
以後、この「ふくら雀」の形をした陶器を捜し求めていたがなかなか巡り会
えなかった。それが、品のいいご婦人が出店しているところで目に留まったも
のがあった。しかも隠れた場所に展示されていた。妻が、その品を手にとって
吟味していたところ、その店主は言葉を掛けてきた。その品、私とても気に入
っていて手放したくないので目立たないところに展示しておいたのですと。
その品は、紛れも無い「ふくら雀」の形をしたお皿である。しかも、染付け
ではなく「織部焼き」の見事な皿である。いっぺんに気に入って、値段交渉に
入った。店主は、手放したくないが店に並べた手前売らないわけには行かない。
そのような状況の中で、勉強して欲しいと交渉したのは今考えても相当の度胸
であった。心持交渉に応じてくれて、手に入れることが出来た。
兎に角素晴らしい陶器である。以後、ふくら雀の器を探しているが、染付け
の小皿は時々目にするが、この織部焼きの器にはお目にかかったことが無い。
そして、「ふくら雀」の器は、多くの店を見て回っているがいまだ以ってこの
二種類以外の器には遭遇していない。
この俳句にあるように、ふくら雀のようにとても趣のある器である。これか
らも目を皿にして捜し求めて行く私達の楽しみの一つとなっている。
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