過日、ある週刊誌に「荒川静香は卑怯な女王」なる見出しに、NYタイムズ・
NBCほか猛烈批判続々とあり、もしや人種差別かなと思い、その週刊誌を購
入した。
その内容は、「荒川はライバルが転んだからタナボタで優勝できた」「荒川
は自分の演技の後、選手たちが自分の点数を抜けないのを見るたびにコーチと
ともに控え室で笑っていたところをカメラは映し出した」「荒川はクリーンな
演技をした。しかし、2回の3回転・3回転のジャンプを3回転・2回転にラ
ンクを落とした。…そして他の選手を明らかに凌ぐものの、見たところ努力を
必要としないスピンとスパイラルで審判の評価を勝ち取った」などが記載され
ていた。
思うに、フィギアスケートは欧米の競技と自負していたのが、アジアの黄色
人種に優勝をさらわれたといった敗北感が、荒川選手の演技を中傷誹謗するこ
とになったのではないか。その点、日本はどうか。柔道にしても相撲にしても
その強者を称えている。
蛇足だが、その週刊誌は、「やい、ニューヨーク・タイムズ!4年後のバン
クーバーにはジャンプキレ、キレの浅田真央も行くかんな、待ってろよ!」と
結んでいる。
ここで、平成10年10月に記した己の文章を思い出し再読してみた。
ビルマでの捕虜体験を通じ西洋文明を批判したベストセラー「アーロン収容
所」(昭和37年)の著者で京都大名誉教授の会田雄次氏は平成10年9月に
81歳で逝去された。
「アーロン収容所」は、英国の日本人捕虜に対する虐待を描いたもので、
例えば
① 飢えに苦しんでいる時、赤痢菌をたっぷり蓄えた川ガニしかいない川の
中洲に捕虜を放置し、カニを食いつなぐしかない状況に置いて『日本兵は
衛生観念不足で、自制心も乏しく、英軍のたび重なる警告にもかかわらず、
生ガニを捕食し、疫病にかかって全滅した。まことに遺憾である』と報告
している。
② 食事に供されていた米はビルマの下等米で、粉米、臭く、3割ぐらい
泥と砂が混じる米の支給に抗議したところ『日本軍に支給している米は、
当ビルマにおいて、家畜飼料として使用し、なんら害なきものである』
と答えた。
③ 英国人の女性士官が目の前で裸になって服を着替えた。「英国人の目に
はアジア人など、犬猫のたぐいに見えるのだろう。しかし、フランス人や
アイルランド人の前では裸にならなかった」など言語に絶する悲惨な体験
を語っている。
そして、著者は、白人以外は人間と認めず、「目には目、歯には歯」の復習
を鉄則とし、陰険、狡猾、冷酷、残忍、尊大、傲慢、老獪、偽善を常とする、
それが英国の真実であると肌で知ったと語る。従って、日本人を人間以下とみ
る英国人捕虜が日本人兵士に殴られたら、同じ目にあった日本人捕虜以上に、
恨み骨髄に徹するところに英国人の人種観に問題はないか、と著者は問うてい
る。
平成10年5月26日。天皇、皇后両陛下の英国訪問に対し、第二次大戦
中に日本軍に捕らえられた元戦争捕虜が、謝罪を求める抗議活動を行った。
両陛下の馬車列に背を向け、謝罪と補償を求め、インデペンデント紙は「あな
たは彼を許せるか」との見出しで、凶悪犯と一緒に天皇陛下の写真を掲載した。
英国人捕虜問題が再燃したのは、平成5年8月に細川元首相が「先の戦争は
侵略戦争で、間違った戦争だったと認識している」であり、次いで、平成7年
8月。社会党の村山首相による戦後50年談話で「植民地支配と侵略に対して
改めて痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明いたします」
そして、平成10年1月橋本首相は、英大衆紙「ザ・サン」に旧日本軍の英国
人捕虜の扱いについて謝罪と反省を表明した文章を寄稿した。
これで日本の最高指導者による対英謝罪は三度を数える。これと同様な例
が、平成5年8月根拠のないまま「従軍慰安婦の強制連行」を認めた河野官房
長官談話である。この談話を基にして、平成10年8月、国連人権小委員会は
日本に賠償勧告を行った。
香港返還の際のチャーチル皇太子は、英国の支配が「民主主義、自由、繁栄
をもたらした」と自画自賛。「謝罪する国」日本と「謝罪をしない国」英国。
故塚本幸一氏は、インパール捕虜時代、上記の③以上の虐待を受けたが、こ
れを前向きに捕えて世界のワコールを育て上げた。日本人捕虜には、英国人以
上に怨念を抱いているが語らない。それを表明させる社会環境にない。いつの
日か、きっと、「アーロン収容所」等の事実が事実として世界に表明できる日
本になってほしい。そして、精神の拠り所を持ち毅然とした曲がらない強固な
日本の背骨の構築を願う。
と記しているが、今の日本の状況は、8年前とは変わっていない。次期総理
には小泉総理の意志を受け継ぐ人になってもらいたい。
アーロン収容所(西欧ヒューマニズムの限界) 会田雄次著
昭和34年11月15日初版
昭和49年 8月15日45版
中央公論社発行
追記 天皇陛下ご訪英に際しての行動に対しこのような投稿があった。
元英軍捕虜の抗議に怒り!と題して
『…思えば終戦後、英軍当局こそ国際法を無視し、数万人の日本軍人、
軍属を捕虜収容所に収容、重労働に就労せしめました。しかし、この
暴虐な報復行為を約二年余りにわたり行使したことを、今日までただ
の1回も弁明、謝罪したときいたことがありません。私は当時の捕虜
の一人ですが……』と当時75歳の方が投稿されていた。
NBCほか猛烈批判続々とあり、もしや人種差別かなと思い、その週刊誌を購
入した。
その内容は、「荒川はライバルが転んだからタナボタで優勝できた」「荒川
は自分の演技の後、選手たちが自分の点数を抜けないのを見るたびにコーチと
ともに控え室で笑っていたところをカメラは映し出した」「荒川はクリーンな
演技をした。しかし、2回の3回転・3回転のジャンプを3回転・2回転にラ
ンクを落とした。…そして他の選手を明らかに凌ぐものの、見たところ努力を
必要としないスピンとスパイラルで審判の評価を勝ち取った」などが記載され
ていた。
思うに、フィギアスケートは欧米の競技と自負していたのが、アジアの黄色
人種に優勝をさらわれたといった敗北感が、荒川選手の演技を中傷誹謗するこ
とになったのではないか。その点、日本はどうか。柔道にしても相撲にしても
その強者を称えている。
蛇足だが、その週刊誌は、「やい、ニューヨーク・タイムズ!4年後のバン
クーバーにはジャンプキレ、キレの浅田真央も行くかんな、待ってろよ!」と
結んでいる。
ここで、平成10年10月に記した己の文章を思い出し再読してみた。
ビルマでの捕虜体験を通じ西洋文明を批判したベストセラー「アーロン収容
所」(昭和37年)の著者で京都大名誉教授の会田雄次氏は平成10年9月に
81歳で逝去された。
「アーロン収容所」は、英国の日本人捕虜に対する虐待を描いたもので、
例えば
① 飢えに苦しんでいる時、赤痢菌をたっぷり蓄えた川ガニしかいない川の
中洲に捕虜を放置し、カニを食いつなぐしかない状況に置いて『日本兵は
衛生観念不足で、自制心も乏しく、英軍のたび重なる警告にもかかわらず、
生ガニを捕食し、疫病にかかって全滅した。まことに遺憾である』と報告
している。
② 食事に供されていた米はビルマの下等米で、粉米、臭く、3割ぐらい
泥と砂が混じる米の支給に抗議したところ『日本軍に支給している米は、
当ビルマにおいて、家畜飼料として使用し、なんら害なきものである』
と答えた。
③ 英国人の女性士官が目の前で裸になって服を着替えた。「英国人の目に
はアジア人など、犬猫のたぐいに見えるのだろう。しかし、フランス人や
アイルランド人の前では裸にならなかった」など言語に絶する悲惨な体験
を語っている。
そして、著者は、白人以外は人間と認めず、「目には目、歯には歯」の復習
を鉄則とし、陰険、狡猾、冷酷、残忍、尊大、傲慢、老獪、偽善を常とする、
それが英国の真実であると肌で知ったと語る。従って、日本人を人間以下とみ
る英国人捕虜が日本人兵士に殴られたら、同じ目にあった日本人捕虜以上に、
恨み骨髄に徹するところに英国人の人種観に問題はないか、と著者は問うてい
る。
平成10年5月26日。天皇、皇后両陛下の英国訪問に対し、第二次大戦
中に日本軍に捕らえられた元戦争捕虜が、謝罪を求める抗議活動を行った。
両陛下の馬車列に背を向け、謝罪と補償を求め、インデペンデント紙は「あな
たは彼を許せるか」との見出しで、凶悪犯と一緒に天皇陛下の写真を掲載した。
英国人捕虜問題が再燃したのは、平成5年8月に細川元首相が「先の戦争は
侵略戦争で、間違った戦争だったと認識している」であり、次いで、平成7年
8月。社会党の村山首相による戦後50年談話で「植民地支配と侵略に対して
改めて痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明いたします」
そして、平成10年1月橋本首相は、英大衆紙「ザ・サン」に旧日本軍の英国
人捕虜の扱いについて謝罪と反省を表明した文章を寄稿した。
これで日本の最高指導者による対英謝罪は三度を数える。これと同様な例
が、平成5年8月根拠のないまま「従軍慰安婦の強制連行」を認めた河野官房
長官談話である。この談話を基にして、平成10年8月、国連人権小委員会は
日本に賠償勧告を行った。
香港返還の際のチャーチル皇太子は、英国の支配が「民主主義、自由、繁栄
をもたらした」と自画自賛。「謝罪する国」日本と「謝罪をしない国」英国。
故塚本幸一氏は、インパール捕虜時代、上記の③以上の虐待を受けたが、こ
れを前向きに捕えて世界のワコールを育て上げた。日本人捕虜には、英国人以
上に怨念を抱いているが語らない。それを表明させる社会環境にない。いつの
日か、きっと、「アーロン収容所」等の事実が事実として世界に表明できる日
本になってほしい。そして、精神の拠り所を持ち毅然とした曲がらない強固な
日本の背骨の構築を願う。
と記しているが、今の日本の状況は、8年前とは変わっていない。次期総理
には小泉総理の意志を受け継ぐ人になってもらいたい。
アーロン収容所(西欧ヒューマニズムの限界) 会田雄次著
昭和34年11月15日初版
昭和49年 8月15日45版
中央公論社発行
追記 天皇陛下ご訪英に際しての行動に対しこのような投稿があった。
元英軍捕虜の抗議に怒り!と題して
『…思えば終戦後、英軍当局こそ国際法を無視し、数万人の日本軍人、
軍属を捕虜収容所に収容、重労働に就労せしめました。しかし、この
暴虐な報復行為を約二年余りにわたり行使したことを、今日までただ
の1回も弁明、謝罪したときいたことがありません。私は当時の捕虜
の一人ですが……』と当時75歳の方が投稿されていた。