いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

シベリア捕虜収容所

2006年03月31日 11時07分26秒 | 兎に角書きたいの!
 周り一帯有刺鉄線が回され、角々望楼があり監視兵がマンドリン銃を持って
24時間目を光らせている。収容所は幕舎が十ヵ所程建てられた百名単位で住
む。裸電球が1個ポツンと下がり、中央にストーブが一つあるだけの殺風景な
幕舎生活である。夕食に黒パンが出た。空腹でやり切れず何とか呑み込んだ。
不味い。消灯後トイレに行くと有刺鉄線の中を監視兵が行ったり来たり、外の
方が昼間のような明るい電灯が照らされ、猫の仔一匹出られぬように警戒が厳
しい。
 第一夜が明け外に出ると天気は良いが新雪が積もっている。6時点呼、各小
隊毎に人員報告、宮城遥拝、大隊長訓示があった。編成四ヶ中隊で千名。現地
はウラジオストクとモスクワの中間点タイシェットより奥地に78キロ入った
ネブルスカヤという地点であり、ここより奥地に400キロ地点までの鉄道建
設が主な作業である。この仕事が終わり次第日本に帰すとのことで、少々の光
が見えた感じである。ロシヤ人所長はこの地点は独ソ戦前にはロシヤの囚人た
ちが働いていた作業場で、後を継いでやるので奥地にはドイツ軍捕虜が数多く
囚人も大分混じって作業中であるが、協力してやって欲しいとの説明があった。
バム鉄道の建設作業のスタートである。
 毎日、日本人が千名単位で送られる。作業と同時に一人ひとり身上調査が
始まる。本籍地その他応召入隊時の住所、氏名、家族名、職歴、特技、農民
出身者は土地所有面積、家畜の保有頭数等財産と実に詳細な調査であった。
特に警察官、司法関係者、特務機関、憲兵将校などと長時間にわたり6名の
高級将校と通訳付で取調べが進む。持物検査が週に一度あり、それは危険物
検査と称して、めぼしい物を取り上げてしまう。徐々に持物が減って行く。
ロシヤ兵達の餌食である。欲しい物があれば否応なしに銃をつきつけて持ち
去る。兵隊達は交代で時計、万年室、衣類、石鹸、眼鏡、日の丸,千人針等
本当にどうするのか分からなくても持ち去るのである。寒い外での私物検査
である。
 収容所の生活は旧軍隊の営内生活に逆戻りした感じである。将校は当番兵
をつけ威張る。食事も将校用は特別食で、大隊長の訓示は何時も「我々は戦
争に負けたのではない。天皇陛下の命に従いソ連軍の軍門に降ったのである。
ここでの生活は飽くまでも兵舎の延長である」と誇示した言い方だった。

 以上は、2006-3-23に「人間の本性」を記した者の実体験記である。
コメント
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