@mincorinrin 便所のそばに植えていたってのが面白いですね。レスありがとうございます!
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年12月3日 - 08:24
@arata_alicia 花紙って言葉、久しぶりに聞いた気がします。古代や中世の時代は、用を足すのも大変だったんでしょうね。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年12月3日 - 08:25
昨日の『#西郷どん』最高でした!
— のりのーり🦀 (@nino1229) 2018年12月3日 - 12:00
スタッフロールに #一三 #住姫乃 と嬉しい名前
菊草役 #八木優希 さんの歌声とシマ口
#愛加那 役の #二階堂ふみ さんにホントよく似てた〜
もう終わりが近いのがさびしい
そんな私… twitter.com/i/web/status/1…
#八木優希 さんのシマ唄ホントに素晴らしかった
— のりのーり🦀 (@nino1229) 2018年12月3日 - 13:26
女優さんらしく感情の発露としての伝達手段であるシマ唄へのご理解がありありと伺えて胸が熱くなりました
彼女を指導した姫からも『然もありなん!』な話が聞けました
#シマ唄 への注目… twitter.com/i/web/status/1…
映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見て来たけれど、本当に素晴らしかった。多感だった高校生の頃、一生懸命クイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』を聞いた当時の記憶が蘇って来た。それにしてもフレディを演じ切ったラミ・マレックには大きな拍手を送りたい。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年12月3日 - 18:27
奄美シマ唄をテーマとした映画「神の唄」第3章で扱う「うらとみとむちゃ加那」の伝説では、女友達に殺されてしまったむちゃ加那の遺体を、母うらとみが埋めて、そこにガジュマルの杖を逆さまにして卒塔婆代わりに立てると、そこから10本の柱を持つ巨大ながじゅまるの木が生えたとされる。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年12月3日 - 20:28
がじゅまるの枝を逆さまにする行為には、呪詛と言うより、取り返すことのできない時間を取り戻したいと言う、エントロピー最大化に対する本能的な抵抗を感じた、そう喜界島の老人に話すと、おそらくあの世に行ってしまった人をこちら側に戻すと言う願いが込められていたのでは?と返答して頂いた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年12月3日 - 20:29
この喜界島に残る「うらとみとむちゃ加那」の物語を鑑みると、ロバート・スミッソンの1969年の作品「Upside Down Tree」や「Yucatan Mirror Displacements」は、エントロピー最大化に向かい一方向… twitter.com/i/web/status/1…
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年12月3日 - 20:29
自分が引き受けるべきものは、全て引き受けて生きて行きたいと思う。しかし自分が何を引き受けて生きて行くのかは、ちゃんと自分で見極めたいと思う。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年12月3日 - 22:08
成功は過程であり、幸福は存在であると言う三木清の考えは、幸せに生きるには、全てである今を大切にすべきであって(=存在=sein)、その過程に過ぎない成功を目標だと取り違えてはいけないと言うことだろう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年12月3日 - 22:32
現代美術の多くは幸福の問題を扱えていない気がするけれど、これは近現代が自己の存在を他者と切り離すことから始まったことと無関係ではないと思う。幸福は他者との干渉からしか生まれないし、それを芸術として扱うことが今求められているのではないか。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年12月3日 - 22:36
「真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である」と言う三木清の言葉に、私はどこか陽明学的なものを感じる。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年12月3日 - 22:39
陽明学と日蓮宗は、ゲルマン的なプロテスタンティズムや父権主義と関係があり、それは時間に厳しい資本主義発展や世直しの思考に直結するが、浄土真宗やlet it beといった癒しの思想は、 ラテン的なマリア信仰や母系社会と関係があり、そ… twitter.com/i/web/status/1…
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年12月3日 - 22:49
かつてヘーゲルが、ゲルマン人には復讐の概念が無いと書いていて疑問に思ったことがあるけれど、復讐の概念が芸術化し易いと思われるアイルランドやギリシャには、母系社会的な贈与経済における「借りを返す」美学としての復讐があるのではないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年12月3日 - 22:50
Let it beもlet it goも、仏教で言う所のサンカーラの思想と考えて良いものだろうか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年12月3日 - 22:56