老人は話頭を転ずるようにつぶやいた。「後入れ先出し法というのがありますな」
第九はなんとなくみだらな言葉のように感じて返答に窮した。
「なに、記憶の話でさあ、もっとも後入れ先出し法というのは棚卸資産の評価法でね、会計上の用語ですがご存知ありませんか」
「会社では財務関係の経験がないので知りません」
「そうですか」と言うと老人は建築労働者のような頑丈な手で鼻の脇を愛撫するようにマッサージした。記憶にも後入れ先出し説というのがある。これによると古い記憶は底のほうに滞留して意識の表層には上がってこないという説ですよ、と説明した。
「必ずしもそうではないようですが」
「そう、一つの説ですよ。だから子供の時の記憶はなかなか浮かんでこない。年を取って大人になってからの記憶がすべて吐き出されると往々にして大昔の記憶が飛び出してくる。つまり人間、寿命が尽きてくると昔の記憶がひょっこりと思い出される。思い出されるだけじゃなくて頭から抜けて他人の頭に入っていくというわけですよ」と訳の分からないことを言った。
つまりですな、幸せな幼少時代を過ごした人はそういうときの記憶が蘇ってきて安らかに死ぬというんですな。
「すると、幼年時代に不幸な生活を送った人の晩年はどうなりますか」
不幸な記憶が臨終で蘇ってひどくおびえたり、うなされたりすると言われております。その人が成人後太閤秀吉のように成功してもですね。晩年の姿はおぞましいそうですな」
この突拍子もない話の落としどころがだんだんと第九にも分かってきた。
「私の疎開中の記憶が飛び出していったとなると、そろそろお迎えが来るのかもしれません」
「そんなことはないでしょう。お元気じゃないですか」
「後入れ先出し法が正しいとするとね」と老人は言って笑った。
老人は遠くを見つめるような目で付け加えた。「私の親父も晩年は時々夢でひどくうなされてね。親父は社会的には功成り名遂げた大変な成功者でしたがね。深夜びっくりするような大声を出すことがありました。もっとも父は東京に出てくる前のことは一言も家族には話しませんでしたがね」