穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

三角頭巾

2019-06-18 06:44:01 | 破片

  老人は申し訳なさそうに言い訳をつぶやいた。「東京に空襲が始まったのは昭和十九年の十一月からなんだが、私は小学校の一年生でね。そのころのことはあまり記憶していない。それにまだ後楽園までのして遊びに行くほどの年ではなかったからね。後楽園の記憶はないんですよ」

 「お住まいはどこだったんですか。後楽園からだいぶ離れていたんですか」

「離れていると言えば離れている。離れていないと言えば離れていない」と老人は禅問答のようなことを言った。「家は森川町でね。小学校一年生の足ではちょっと遠かったね。しかし後楽園球場でホームランがでたりファインプレーがあって観客の歓声があがると、そのどよもすような音が驚くほど近くに聞こえましたな」

 「戦争中もプロ野球をやっていたんですか」

「いや、戦争末期には中止していたらしい。戦争直後から職業野球が再開されてね。夏の夜なんか開け放した窓からどっと歓声が聞こえてきてラジオをつけると、川上がホームランを打ったとか、与那嶺のファインプレーでダブルプレーにして、ピンチを切り抜けたとか放送していた」

  そのとき、一人の客が店に入ってきた。「おや、いい人がきた」と老人が声をあげると、その老人に手を挙げて呼び寄せた。六尺近い体躯で顔は下駄のように角ばっている。顎が反り返って前に出ている。第九も時々見かける店の常連である。怪訝な表情をして老人が近づいてくると、禿頭老人が自分のそばに座らせた。

 「いいところに来た。いま若い人から昔のことを質問されてね、私が答えられなかったんだが、あんたなら覚えているだろうと思うんだ」と切り出した。

 「なんだい」

「あんたは終戦の時は中学生だったっけ」

「いや、小学校の六年生だ」

「そうか、それじゃ私より記憶があるはずだ。家は餌差町だっけ」

「いや初音町だよ、どうしてだ」

「初音町とすると後楽園は隣みたいなものだろう」

「そうでもないさ、歩いて五分はかかるよ」

 「そうか、初音町というとどの辺かな」

「こんにゃく閻魔のそばだよ」

「ああそうか。この人が聞いたのは後楽園に高射砲陣地があったかどうか、ということなんだ」

「なるほど、たしかにあったよ。戦後もしばらくは高射砲の台座が残っていた」

「へえ、どの辺だ」

「あれは旧競輪場のあったところだな。いまはビッグエッグになっている」

「へえ、思い出したよ。終戦直後は文京区か東京都のグラウンドだったところだな、おれも中学時代に文京区の対抗試合にでたことがある」

 禿頭老人ははっとしたように口をすこし開けた。「いや、思い出したぜ、そこが文京区のグラウンドになるまえに土手みたいになっていて所々に窪みがあった。あれは高射砲の砲台のあとじゃないかな」

  下駄顔老人が発言した。「だから高射砲の砲弾の破片がそこら中に落ちてくるわけだよ。俺なんか座布団で作った三角頭巾を被って学校にいったぜ」

「そうそう、わたしもおふくろが作ってくれた三角頭巾を被っていたな。裏側に血液型を書いた布が縫い付けてあってさ」

「いまの児童が黄色い帽子を被るみたいなものですね」と第九は言った。