今回直木賞候補になった「砂の王国」の先行作品というのが表題の本だ。
たしかにハードルは高いね。これも上下二巻で長過ぎる難はある。遠縁で新興宗教の教祖というのがいてこの業界をチラ見していたので、ある程度実態を知っているのだが、成金、町工場の経営者、中小企業の経営者などのスポンサーがつく。それも信仰心だけではなくて抜け目のない打算もあって。
それとか、宗教グッズでとんでもないさやを稼ぐ業者の群れ、お抱え出版社、マスコミ、ジャーナリストなど。宗教社会学的な観点から見てもじつに新興宗教業界というのはすそ野が広い。そしてこの本はよく調べてそれらの業界の生態をまんべんなく巧みに作品に取り入れてる。
さて筋だが、上巻は平坦な道をゆっくりと行くノンフィクションペース、おやおやと思っていると上巻終わりあたりでぐんと盛り上がる。下巻も快調に滑り出すが、すぐ失速気味になる。
心配しているとまた盛り上げてくる。下巻後半はなかなか快調。いやはや、なかなかの御作と拝見した。
信者にはご利益目当てのスポンサー気取りの企業のほかに、悩める女性たちがいる。この女性たちが活躍するのが下巻後半からだ。ここが山場だね。
この女性が集団で、宗教的エクスタシー状態になって教祖を始め男性たちに暴行凌辱を加える。ここがサワリなんだが、数えてみたところ、このパターンは都合四回繰り返される。
ここで思い出されるのは、ギリシャのオルフェウス神話だ。篠田女史がオルフェウス神話を下敷きにしていれば、まことに適切な着眼点である。
また、篠田さんがオルフェウスの神話を知らなくて、自分のアイデアなら、これは一つの「元型」(ユンク等の言う)であり、結構な結構であると言える。
「砂の王国」は読んでいないが、最初の状況設定は仮想儀礼と同じというのでは仮想儀礼を超えるのはかなり難しそうだ。
設定(布石)を変えるか、新興宗教業界の周辺業種を絞って密度の濃い作品を書くことを後進たちには勧めたい。
競馬小説を書くディック・フランシスという作家がいる。競馬業界も関連業界が多数あるが、フランシスは毎回、関係業界を変えて数多くの作品を書いている。あるときは騎手に焦点をあて、ある時には競馬ジャーナリストに、また、生産者(牧場)に、ある時は厩務員、調教師、馬主、装蹄師、馬匹輸送業者(国際輸送業者のパイロット)なんて作品もある。
カルトや新興宗教は関連業界が広い、一作、一業種でストーリーを作っていけば長いシリーズもので食っていけるぜ。
& ナレーターは脱サラの公務員という設定だが、これが客観的な記述を可能にしている。最初からカルトっぽい教祖にすると、しつこいエログロ場面だけで話をつながらないといけなくなるから読むほうもしんどい。もっとも、大多数の読者はそれがいいというのかも。その手の作品は結構あるようだ。オーム事件に触発されて以来(たとえば、、、以下略)。
普通の公務員がどうして密教めいたカルトの知識があるかというと、この人物が副業で密教カルトの劇画だかゲームソフトを書いていて、その過程で得た知識ということになっている。ま、無理なく読者を納得させるだろう。