ショートショート 管理組合のインターネット投票
買い物をすましてマンションに帰って来ると管理人が部屋から出て来て「Xさんは委任状がまだですね」といった。一週間後に管理組合の総会があるのだ。いつも定足数がたりなくて、管理組合いのちの連中は管理人まで動員して委任状を必死に集める。
分譲マンションには管理組合というのがある。これが小学校のホームルームみたいに、事細かに規制をする。随分と珍妙な規則を作る。彼は無視するつもりだった。しかし、辟易したのは管理組合の会合に出席を執拗に強制されることだった。それが義務だとかなんだとか、押しつけがましく強要する。義務じゃなくて、権利だろう。権利は行使しない場合もある。
本来管理会社がやるべき仕事も「自治」の美名のもとに管理組合に押し付ける。管理組合のほうも、押しつけられたとは思わずに大幅な権限が移譲されたと喜んじゃって使命感に高揚する。耐えがたい情景であった。
「それは管理組合マターですから」とか「まず管理組合で決めて下さい」。なにか頼もうと管理会社に電話すると担当の若手はこう言って面倒なことから逃げる。また、管理組合にはこういう活動を命として、張りきるのがいるのだ。
最近理事長や理事の入れ替えがあってからまた、うるさく言ってくることが多くなった。この「チーム」がひときわ熱心に総会に委任状を出せとしつこくせまる。管理人まで動員してうるさく言う。あまりのうるささに彼はインターネットを利用しろと逆提案したのである。
最近では株主総会でもインターネットで議案の賛否を表明できる。マンションの管理組合もそうしたら、毎回出席者が足りないなどと言って『白紙委任状を出せ』などと無茶なことを言ってくる必要もなくなる。だいたい、毎回、出席者が定数に達しないような管理組合など解散したらいいのだが、いきなりそんなことをいうとびっくりして腰を抜かしそうだ。もっともマンション法に解散規定があったかな。なければマンション法は欠陥法である。
管理組合を解散しろと言ったら、彼らは憲法第九条を改正しろと言われたように驚愕するにちがいない。その結果どういう反応を示し、どういうとばっちりがこちらに跳ね返って来るか予測しがたい。そこでとりあえずインターネットを使うことにしたらどうだ、と言ったのである。
いまどき、インターネットが普及したのに、活用しないような時代遅れでは管理組合の運営が出来るかと先制奇襲攻撃をかけた。理事長やその取り巻きは虚をつかれたのか、静まりかえってしまった。
ところが一人だけ住民の杉浦氏が彼の提案に興味を示してきたのである。杉浦は中年の会社員で会うと人懐っこい笑顔を見せる。
「総会の議事運営をインターネットでする、というご提案はいいですね」と自転車事故に遭った後で戻って来た彼に杉浦は話しかけた。一週間後に予定されている管理組合の総会に提案しましょうというのである。
「結構じゃないですか」というと、提案を作るにあたって意見を聞きたいと言う。
「どうせ、僕は総会には出ないから、杉浦さんのお考えでなさったらいいじゃないですか」
「そうですか、僕も発想は非常にいいと思うのですが、若者のようにインターネットを使ったことがないので、うまくまとまらないんですよ」
「でも、一応骨子はできているのですか」
「ええ、ごく粗っぽいものですが」
「じゃそれを拝見して、僕にもなにかアドバイス出来ることがあれば」
という会話があった後で杉浦は腹案なるものを持って来た。彼の会社の総務課あたりの株主総会担当者に相談しながら作ったものらしい。結構良く出来ている。杉浦の会社は二、三年前から株主総会の議題のインターネット投票をはじめていたのだ。それでXの提案に興味をもったらしい。
「ところで」とXは聞いた。「おかしな法律があるでしょう。通称マンション法とかいうのが。あれではインターネット投票を認めているのかな」
杉浦は「さあ、どうですか」と気がつかなかったようである。
「確か集会によるとかあったかな、書面による決議という規定もあったようだ。インターネット投票は書面による決議になるのかな」
「ははあ」
「一応その辺を調べておくといいですね。管理組合いのちの連中もマンション法なんか読んだこともないんだろうが、念のためにね」
「そうしましょう、それでもし書面による場合は満場一致が条件とか書いてあったらどうしましょう」
「まあ、仮定の話をしてもしょうがないが。総会の決議でマンション法の規定をオーバーライドできるかどうか、だな」
「その辺がごちゃごちゃする可能性があると弁護士に相談したほうがいいかな」
「ま、大げさに考えることもないが。とにかく提案をぶちかまして見るんですな。相手の出方次第だ。もっとも杉浦さんの会社は大企業だから法務部門が立派な弁護士を抱えているんでしょう。出来るなら聞いておいたほうがいいですね」