穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ミステリーの適正規模

2011-03-25 07:38:17 | ミステリー書評

ミステリーといっても漠然とクライムノベルの範疇にはいるすべてのジャンルといってもいいが、その長さ(規模)が最近は長過ぎる。

いいところ、300ページまでだろう。病獣の屍肉のミンチを食うのではない。長ければいい、目方があればいい(上下二巻とか)、などと言うものではない。

同様にミステリー映画の限度は二時間だろう。小説にはこの節度をわきまえないものが多すぎる。三時間以上の映画なら途中で休憩が必要だ。映画はその特徴として、つなぎあるいは説明をすっ飛ばすことが出来る。本当は出来ないんだがね。ようするにめまぐるしく動く映像に騙されて必要な説明場面がなくても、筋が矛盾だらけでも、あっという間に進む。観客はおかしいな、と思う間もないからいいのだ。

それでも、いい映画は二時間でもこういうすっ飛ばしはないものだが。

ミステリー小説の場合は説明の場面が入るのだが、これが稚拙だから勢い長くなる。しかも説明すればするほどますます要領を得なくなる。

最悪なのは会話で説明場面を構成するものだ。まるで小学校のホームルームの議事録みたいなのが多い。

以上のコメントはすべて昨今ベストセラーと言われているものについてである。