穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

「ダブル」トリロジーを読み終わる

2019-07-31 20:55:16 | ポール・オースター

 オースターのいわゆるニューヨーク三部作の最後「鍵のかかった部屋」を読んだ。三部作なのになぜダブルだって。ご疑問ごもっともなれど、ダブルはダブルなれど分身あるいは生き写しのダブルだ。前回のアップでも触れたが前の二作は分身小説だと言った。この「鍵のかかる部屋」も分身小説である。あるいは自我のコピー小説といってもいい。

  この作品ではファンショーは「僕」の分身である。182ページ(白水Uブックス)に次の文章がある。

>>この前に出た二冊の本についても同じことが言える。『ガラスの街』、『幽霊たち』、そしてこの本、三つの物語はみな同じ物語なのだ。<< ということ。

  したがってNewYork TrilogyはDouble Trilogyと言える、あるいは言ってもいい。

 


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