オースターのいわゆるニューヨーク三部作の最後「鍵のかかった部屋」を読んだ。三部作なのになぜダブルだって。ご疑問ごもっともなれど、ダブルはダブルなれど分身あるいは生き写しのダブルだ。前回のアップでも触れたが前の二作は分身小説だと言った。この「鍵のかかる部屋」も分身小説である。あるいは自我のコピー小説といってもいい。
この作品ではファンショーは「僕」の分身である。182ページ(白水Uブックス)に次の文章がある。
>>この前に出た二冊の本についても同じことが言える。『ガラスの街』、『幽霊たち』、そしてこの本、三つの物語はみな同じ物語なのだ。<< ということ。
したがってNewYork TrilogyはDouble Trilogyと言える、あるいは言ってもいい。