14: 八月一日
銀行で個人客を差別しているんですか、と秀麗無臭な婦人が怪訝そうに質問した。
「私の行く銀行の支店では個人客用の係が一人しか配置されていないんでね。結構大きな支店なんですけどね」と下駄顔が答えた。「銀行に行くとロビーレディとかいうおせっかいなばあさんに半券を渡されるでしょう、順番待ちの番号が印刷してある」と続けた。
「二人待ちなんですぐに順番が来るだろうと思っているとなかなか呼ばれない。カウンターは十ぐらいあって顧客はどんどん呼ばれてはけていくのにおかしいな、と思っていたので呼ばれたときに係に疑問をただしたんですよ。そうしたら個人客用の係は一人だけだというんです。彼女が言うにはインターネット・バンキングが普及したからカウンターの窓口を減らしたというんですな」
「理屈をつけて強引にインターネット・バンキングに誘導しているんですかね」と第九が口をはさんだ。
「振込なんかでも用紙に書き込んでカウンターに持っていくとATMでもできますってかならず言われますね」
「そうそう、あれも気分悪いね。苦心して用紙に記入してきたのに分からなければお教えしましょう、なんて言いやがる」
「どうしてですかね、時勢かしら」と華麗無臭な麗人が言う。。
「コスト削減ですよ、顧客の不便の代償で自分たちの高給を確保しようとするのです」
「まったく、従業員たちの利益しか考えないんだからひどいものだ。振り込みでちょっと金額が大きくなると写真付き証明書なんて言いやがるし、少額だとむりやりATMにいかせようとするんだ」
下駄顔も言った。「そういう時にはATMの入力をタイプライター式にしろと窓口の婆さんにいうんだ。いまさら指入力なんか出来るか、バカ野郎」
「それじゃースマホもダメですね」と佳麗無臭婦人が混ぜ返した。
「いや、Qwertyっていうタイプライター式の入力方法もあるんじゃないですか」と第九が口を挟んだ。
下駄顔はポカンとしたが、「そうかね、そういうATMもあるのかね」とみんなに聞いた。
みんな首をひねっている。
禿頭が断を下した。Qwertyもだめだね。ぼくもタイプライター派だけど、あれはソフトキーボードだろう」
「そうですね」
「じゃあ結局一本指の入力だろう。タイプライターなら五本、いや十本の指がキーの位置を記憶しているからローマ字入力も簡単だが。それに指入力だと、訂正の仕方がよく分からないから最初からやり直す。イライラしてまた間違えるっていうことになる」
「そうそう」と下駄顔が相槌を打った。
端麗無臭な佳人が不思議そうに老人二人に尋ねた。「お二人ともご高齢なのに結構ハイカラなのね。タイプライター式のほうが良いって」
「ははは」と二人の老人は笑った。「もちろん英文タイプライターですよ。昔は和文タイプライターというのもあってね。これは大変な代物で、和文タイピストというのがいてね、エリート女性でしたよ」
「何をする人たちなんですか」
「会社で社長名で出す書簡だとか文書は活字じゃなければいけないでしょう。あるいは役所に出す申請書とかね。活字で文書を作って、でかでかと社長印を押して作成するわけです。だから和文タイピストというのは威張っていてね、我々みたいなぺいぺいが原稿を持っていくと、けんもほろろの扱いでしたよ」
「そうそう、拝み倒して自分が持って行った原稿を割り込ませてもらいましたな」
「へえ、そういう職業もあったのね」
「それでさ」と禿頭が思い出したように言った。「後で部長の気が変わって、ここのテニオハはやはり直せ」なんていうだろう。それで和文タイピスト室に震えながら入って恐る恐る打ち直しをお願いすると、すごい剣幕で怒鳴られてさ、土下座してお願いすることになるわけだ」
「そうそう、そんな感じだったな」
「女性の職業ではエリートでしたね。社長秘書か和文タイピストかと言われたものです」
「それはキーボードの配列も普通の英文タイプライターとは違うんですね」
「全然違います」
「しかし、あなた方は英文タイプライターは楽々と使いこなしていたわけですか」
「私は商社に入りましてね。英文レターは必須業務でしたから、入社してまずタイプライターを練習しました。職場には電話機の数と同じくらい英文タイプライターがあったしね」
「なるほど、それでお上手なわけね」
「指入力なんて猿みたいなマネは今更できません」