穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

54:ヌエ(鵺)退治

2019-12-16 08:27:10 | 破片

 規模の問題もありますよね、とクルーボックスが呟いた。
「規模が大きいほうがいいんじゃないですか」
「まあねえ」
「分譲マンションというと必ず管理組合というのがあるね」
「厄介な存在だよ」
「賃貸だと大家と店子という関係ですっきりしていますね。大家によりけりだけど、一般的に言って大規模なマンションの大家、大体は大企業の不動産屋が多いんだけど、この辺が一番無難かもしれないな」とクルーボックスが意見を開陳した。
「大家が無茶苦茶な管理をしたり、おかしな規則を強制しない限り賃貸がいいのかな」と第九が言った。
「だけどリフォームは出来ないわね」と女主人が話に加わった。
「そうですね。どうしても気に入った仕様が見つからなくてリフォームしたというんなら賃貸はダメですね。しかし私なら出来るだけいろいろな物件を見て歩いて自分の希望というかイメージに合ったところを探すのがいいと思いますね。規模の話ですが、大手の会社が運営する大規模な賃貸はそうそう無茶なことはしませんよ。勿論例外はあります」
「どんなところですか」
「いやいや、それはちょっと言えない」とクルーボックスは逃げ腰になった。「大体評判を調べていれば分かってきますよ」

 第九が思案顔に言った。「賃貸ならおまかせスタイルで、気楽かもしれないな」と妻と管理組合との百年戦争を考えたのである。
「いい大家で、つまり常識的な運営をするところで、大規模なリフォームをするのでないなら賃貸が無難でしょう」
「しかし分譲なら自分のものになるから資産価値が残るんじゃないの」
「一昔前の発想ですね」とクルーボックスが批評した。「不動産価値がローン金利以上に着実に値上がりしていた時代の考え方でね」
「そうだな、いまじゃ購入価格の維持すら不可能でしょう。よほど例外的な物件でなければ」
「ローンの金利を考えたら賃貸のほうが有利だろうな」と卵型老人が言った。

「分譲の場合はどうですか。できるならローンを組んで分譲を購入したいというのがサラリーマンの夢じゃないですか」
「持ち家というのは響きのいい言葉だしね。しかし管理の面倒くささという点では、さっきも言ったけど、一軒家、分譲、賃貸の順ですよ。一軒家の維持のややこしさは建物自体の維持とか防犯上の問題に限られるけど、分譲マンションの場合はあらゆる管理問題が負担になるからね」

「まず関係者が複雑だ。個々の所有者(区分所有者と言いますけどね)、管理会社そしてその間に管理組合というのが入る。非常に複雑だし、面倒くさい。うまれて初めて自分の物件を管理できるというので喜ぶ人もいるが、厄介ごとを引き受けて悦に入っているとしか思われないな」と下駄顔が話し始めた。

「管理組合というのは管理会社が体よく利用する存在でしょう」と第九が思いついてように発言した。
「えっ」とみんなが彼を見た。
「そうですね」とクルーケースが敷衍した。管理会社は住民の自治意識をくすぐるという手に出ていますね。なにか問題があって、管理会社に相談すると、それは管理組合マターですからと言われる。そうして管理組合に問題を上げると、理事会なんかで取り上げられるまでにものすごく時間がかかる。そうしてたいていの場合何の結論も出ずに立ち消えにされてしまうということが多いでしょう」
第九がうなずいた。住民対管理会社という図式はなく、すべて「管理組合の問題ですから」とからだを交わされてしまう。
「管理人というのはどういう立場なんですか」と女主人が話に加わった。「住民(同士)、管理人、管理組合、管理会社というのが関係者ですね。どういう関係になっているのでしょうか」
「管理人というのは立場が難しいね。同情する面も多々あるが、管理会社の従業員であり、管理組合の御用聞きみたいなところもある。管理組合との関係でしくじると自分の身が危なくなる。管理組合の御用を足していれば安全だからね」

「個々のマンションの管理組合によってさまざまだから語弊があるが、基本的には管理組合アクティヴ・メンバーと個々の住民とは違う」
「しかし、住民の自治とか振りかぶられると弱いんだよね」
「つまりマンションを買う場合はどんな管理組合かを調べなければならないわけね」
と女主人が呟いた。
「そうなんだけど、それは実際上不可能だ。中古を買う場合でもそこの管理組合の評判なんて調べようがない。まして新築の場合は、これからどんな人が買うのかもわからないし、どんな組合ができるのかも予想できない」

 


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