穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

アブサン

2022-10-05 08:27:46 | 小説みたいなもの

 秀夫がパソコンを開いて随想風の日記をつけていると電話がなった。裕子からだった。しばらくしてチャイムがなった。このごろ、彼女は不定期的に来るようになった。そうして部屋をいじくりまわしていく。なんだか部屋の共同所有者になったような有様なのである。
 インテリアデザイナー志望で、今はしがないOLの彼女は彼の部屋をいじくりまわしてインテリアデザインの実験台にしている。彼も部屋が片付いていいのでやらせているのだが、困るのはやたらと本の整理をすることである。机の上、床の上に放り出してある本を彼女流の分類方法で整理してくれるのだが、その分類法がまったくわからない。本と言うものは散らかっていても当人は何処にどういう本があって、どこにこれはどうしようもない本で処分しようとしている駄本があるかは、頭の中にはいっている。だから必要な本を探すのに手間はかからない。それが彼女の分類法でやられると、あの本は何処かな、と半日探し回ることになる。半日探しても出てこないこともある。そして翌日ひょっこり見つける。しかし彼の部屋の汚れの一番の原因は書籍なのだから、彼女も彼が苦情を言ってもとりあわない。
 汚れた食器や流しはピカピカにしてくれるし、隅々まで電気掃除機をかけてくれるし、溜まった郵便物はきちんと整理してくれるので、うっかりして処理しなければならない通知などを見落とすこともなくなった。そういうわけでトータルに判断して彼女の整理に任せてあるのだ。
 整理が一段落すると彼女は冷蔵庫から缶ビールを取り出して呷った。唇の周りの泡を手の甲で拭うと彼のそばに来て何をしているの、とパソコンをのぞき込んだ。日記は秘密ではない。もともと、例の暑気あたり後の発作で精神に変調を覚えた後、大学病院でチンピラの医局員にいじくりまわされるのが嫌で、日記を書いて、読み返し、まともかどうか自己診断をしている。だから第三者に見せるのはむしろ求めているのだ。まして彼女は広告の仕事でコピーライターみたなことや、プレスリリースを書いたりもしているから感想を聞くのには適しているだろう。
「フーン、アブサンか」
「飲んだことあるのか」
「無いけど、ある意味で有名な酒だよ。麻薬みたいな効果があるらしい。ボードレールとかピカソなんかが愛飲していたんだよ。いまではフランスでは禁止されているんじゃないかな」
「だけど日本では作っていないだろう。どうせ輸入しかないんだろう。密輸かな」
「いや、そうじゃないでしょう。アブサンと言っても昔のとは成分や製法、原料が違うんじゃないかな。それで飲んでみてどうだった」
「小さなグラスで一杯だけだから別に素敵な効果もなかったな」

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 古本屋で見つけた本から | トップ | 幽霊語である人格 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

小説みたいなもの」カテゴリの最新記事