穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

夢の検証

2022-10-10 11:36:49 | 小説みたいなもの

  このところの狂ったような残暑も今日は落ち着いてどんよりと曇った肌寒いような日だった。彼は大江戸線の若松河田の駅から地上に出た。
 この間やめた会社は毎年職員名簿を作成して全職員に配布している。彼女が整理した本棚には一番左側の目立つところに職員名簿があった。憑依するというか、受信するというかはやはり何らかの関係がある人間の可能性が高いのではないか。不図思いついて彼は職員名簿の一番新しい版を本棚から引っこ抜いて机の上にで開いた。
 まず退職時に所属していた部署所属の名前を見た。続いてこれまで所属していた課を順に新しいところから見て言った。取り立てて記憶に引っかかるような人間はいない。そのうちに一人の人間の名前のところで視線が停止した。トラブルと言うのではないが、代理店との問題で苦情を持ち込んできた男がいる。その男が担当している代理店から苦情を持ち込まれて、ちょうどその職員が出張していたので彼が応対した。そして便宜を図ってやったことがあった。    ところがその職員が出張から帰ってきて、その代理店から何か言われたらしい。血相を変えて怒鳴り込んできて部長にクレイムしたことがあった。非常に不愉快な記憶ではあったが、彼はすっかり忘れていたのである。
 ほかに今のところ思い当たる人間もいないし、一日一万歩の日課の目標も毎日同じ順路になってしまっているし、散歩がてら行ってみることにしたのである。彼は新宿区のZ町に住んでいた。もっとも昨年の名簿だから今もそこにいるかどうかは分からない。番地から見るとマンションではなくて一軒家のようだ。白日夢つまり彼の知覚に突然飛び込んでくる映像では周りを低層階のマンション風の洋館に取り囲まれた日本家屋の一軒家なのである。はたしてそこが白日夢に現れるロケイションかどうかお楽しみというわけである。
 方向感覚の取りにくい街であった。道幅がやけに広く交通量が多い通りが不規則にぶっちがいに交差している。あらかじめ地図で新宿よりを右に入ると確認しておいたのだが、方向が分からない。結局三つ四つ違う街に入り込みようやく目的の街にたどり着いた。
 大通りから車一台がようやく通れるような曲がりくねった道を入り込む。道の両側には三階建てくらいのあまり広くない地所にむりやり建てたような低層マンションが立ち並んでいる。また、一昔前までは日本家屋だったのだろうが、代替わりでコンクリートの洋館に建て替えられたらしい家屋がある。家屋やマンションの間にはすきまがない。なにか気の滅入るような街だ。昼下がりの街には人通りがない。猫や犬も一匹もいない。とうとう日本家屋が残っているところは見つからなかった。

 

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