穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

『破片』まとめ 21-29

2019-11-01 07:46:24 | 破片

21:半熟たまご

 このごろはオートミールと半熟卵二個、それに妻には紅茶を上品に薄く淹れる。第九はインスタント・コーヒー大匙三杯とグラニュー糖10グラムである。半熟卵というのはなかなかうまくできない。いろいろ研究しているがいまだに出来にむらがある。出来が悪いと途端に彼女の機嫌が悪くなる。彼女は半熟の頭をひっぱたく技術は芸術的だと自負しているから厄介である。柔らかすぎてぐにゃりといって未熟な汁があふれ出すと大変である。また、固すぎるとこれまた癇癪をおこす。

 彼女は斜め上方から卵めがけてスプーンを振り下ろす。頭頂部を打撃した瞬間にふっと力を抜いて飛行機のタッチアンドゴーのように匙を中空にあげるのである。うまくいくときれいに半熟の頭が割れる。これには技術もさることながらこちらの作り方も問題となる。第九は試行錯誤で記録をつけながら技量の向上を図っているが、まだ歩留まりは七割くらいである。まず、卵は前日の夜に冷蔵庫から出しておく。朝は卵の表面温度をはかる。温度によって茹でる時間を変える。大体卵の表面温度が二十度なら水に中に入れて鍋の中で卵が苦しそうにごろごろのたうちまわり始めると火を止める。そして熱湯の中に三分間入れておいてから皿に取り上げるのである。そして二十分間冷ましてから彼女の前に出すのである。

 それに比べるとオートミールは作るのは簡単である。しかし、ミルクを切らすと大変である。あさオートミールを食べないと化粧のノリが悪くなるらしい。出勤するまで彼女はわめき続ける。かといって牛乳は大量に備蓄出来るものでもないし、重さだってバカにならない。第九はほとんど毎日食材を買って帰るからミルクだけ何本も買うわけにはいかない。たえず、冷蔵庫をチェックして在庫を確認しなければならないのである。

 今日は一発で半熟の頭をたたき割ったので彼女は機嫌がいい。窓の外を眺める余裕もできたらしい。

「あら、今日は筑波山がくっきりと見えるわね」なんて感心している。彼も窓の外を見るとスカイツリーの右側にツインピークが黒々として鮮やかに北東の地平線に見える。この眺めは彼女のお気に入りである。筑波山もスカイツリーも六百メートルくらいの高さらしいが、東京から見ると筑波山は地面に這っているいるようだ。マンションの五十階からの眺めである。昔はまわりに建物もなかったし、空も綺麗だっただろうから江戸の街並みは地上からでも筑波は晴れていればよく見えたに違いない。いまは相当上に昇らないと見えない。しかもスモッグで地平線の視界がぼやけている。筑波山が今朝のようにくっきりと姿を現すのは年に何日もない。

 ワンルームマンションからの展望は悪くない。眼下に密集するビル、民家、マンションにはおそらく数十万人が暮らしているだろう。彼女はそれで「私の天守閣」と呼んで眼下の民の暮らしぶりを観察するのである。しかし、決して「私たちの天守閣」とは言わない。彼女がローンを組んで購入したのである。もっとも五十平米足らずの部屋は天守閣というよりも囚人二人用の部屋の様ではある。

 そういえば、彼らの専業主夫契約の更新期限は来月だ。一年契約の自動延長なのである。

彼女が出勤した後の室内は耳がじんじんするような静寂のなかに落ち込んだ。ジャズでも聞こうかと立ち上がった彼がふと外を眺めると、すでに筑波山は朝もやとスモッグの煙幕に遮られて見えなくなっている。

 22:枕の上に落ちた白髪 八月三十一日

 彼は食器を流しに持って行った。二人分だから大した数の食器ではないが、専業主夫になってから食器を洗うたびに母親の苦労が偲ばれるのである。先妻の子供たちを含めて八人の子供と自分と夫の使って汚れた食器はおびただしい枚数になる。子供たち(娘たちと言うと苦情が出そうなので子供たちというが)は誰一人母親を手伝うものがいなかった。それを一日三回一年中休まずに行った苦労が今頃になって、彼が妻の分まで食器を洗うようになってから母親の苦労に思い至ったのである。母親はそれだけではない。もちろん三度三度の食事の支度をしなければならない。先妻の子供はわがままで、食事の味まで苦情を言って母を困らせた。そのほかにも複雑な家庭で母の苦労は絶えなかった。母の葬式の日、父はわずかにひとこと「彼女はよくやった」と短いねぎらいの言葉を言っただけであった。第九の場合は始めればあっという間に終わってしまうのだが、「さあ、食器を洗うか」という心理的な踏ん切りには大変な努力が必要なのである。かなりの心理的エネルギーを必要とするのである。

 洗った食器を拭いて食器棚にしまうと、彼はベッドメイキングをした。枕の上に彼女の長い髪が落ちている。彼女の髪はほどくと乳を覆うほどであった。しかし、キャリアウーマンの心得で職場に行くときは髪を上げて髷を結っている。決して売春婦風に長髪を挑発的に垂らして職場には行かない。髪をほどくのは夜だけなのだ。寝過ごしたりして時間が無くなった日で髷に結う時間が無くなった時でも髪は頭の後ろにポニーテイルにまとめていく。

 おや、と彼は思った。枕の上に一本の白髪がある。よそじも視界に入りつつある彼女にも白髪ができたのか。三年前に一緒になったときは一本の白髪もなかった。彼女は自分で知っているのだろうか。窓の外はますます曇ってきてスカイツリーもおぼろに浮かんでいる。雨でも降りだしたのか。五十階だと雨が降っているかどうかは雨脚がうどんのように太くないと分からないのである。今日は傘を持って行ったほうがよさそうだ。

 突然第九以外誰もいない部屋にくしゃみの音が響いた。ベランダに通じた窓は閉めてある。開けてあれば隣室の窓も空いていれば空間を迂回して話し声が聞こえることがある。しかし、今のは壁を通して聞こえてくるのである。また二回連続して遠慮会釈もないくしゃみが轟く。このマンションの壁は安アパートでもめったにないほど壁が薄いようだ。妻はマンションを選ぶときに大手不動産会社に絞って選んでいた。そして施工会社も伝統のある巨大ゼネコンのものを購入したはずである。五十階になると耐震構造上あまり重くできないのか。それで壁を薄くして重量の負荷を減らしているのかもしれない。今度は隣からタンスかクローゼットを開け閉めする音が伝わる。隣家の住人はご出勤のご様子である。

 枕の上から長い白髪を摘まみ上げて捨てると前夜の体操で形の崩れた枕をポンポンと叩いて形状を復帰させる。さてジャズでも聞こうと思っていたが盤を選ぶのが面倒くさくなった彼はテレビをつけた。甘ったるい女の甘え声が室内を満たす。鼻梁の太い女性のゲストがご意見を陳述中である。油でも塗りたくって艶を出したような長い髪を売春婦のように肩から前に垂らしている。少女ならまだ許せるが、この政治評論家とか言う女性の年齢は彼の四十路の妻とあまり変わらないようだ。

 23:パチプロ

 久しぶりに実質分煙カフェに行くと常連の老人たちが新顔の客と談笑している。四十五歳ぐらいの大きな男で赤ら顔の胆汁質の巨漢である。薄くなった髪の毛を短く切っているのでピンク色の頭の地肌が見える。大量の紙袋が席の横に置いてある。面白そうに両手を振り回して大げさなジェスチュアでまくし立てている。第九は話を聞こうとそばの席に座った。

 下駄顔老人が第九に言った。「しばらく顔を見せませんでしたね。忙しかったんですか」

「いえ、そういうわけじゃないんですが、ちょっと、こちらに脚が向かなかったもので。こちらのほうは変わりありませんでしたか。その後クレイマーが現れるとか」

「あの女は現れないね。どうも一過性だったらしい」

禿頭老人が新顔を紹介した。「彼はパチプロなんだそうですよ。この大きな紙袋はみんな景品らしい」

「へえそうなんですか。だいぶ稼ぎましたね」

「毎日三万円は儲けるらしいよ」

「するというと、パチンコで生計をたてているんですか」

「そうですね、それで病院から転職しました」

「医師より収入があるんですか」

「まあ、職種にもよりますね。開業医なんかしていればもっと儲かるでしょうがね。病院勤務だと勤務時間がやたらと長いうえに余禄がないですからね。もっとも外科の医長なんかになれば別ですよ」

「どういうことですか」

「手術なんかするでしょう。そうすると患者の家族が百万円とか二百万円を包んできて、どうぞよろしくお願いします、というわけですよ。そうする偉い先生が直々に執刀するわけです」

「へえ、お金を渡さないとどうなるんですか」

「見習いの経験のない若い医師に患者を切り刻ませるんですよ」

そりゃー危ないね、と老人が心配そうな顔をした。「事故も起こるでしょうな」

「その収入はどうなるんです」と下駄顔が聞いた。

「もちろん税金の申告なんかしやしません。まるまる懐に入るわけです」

「先生は経験もあるお医者さんに見えますけどね。そういう余禄はなかったんですか」

「私は精神科でね、そんなものはありません。それでいて病気の性質から患者とのトラブルが多くてね。担当の患者に自殺者がでたりすると院長にネチネチ絞られるしね。女性の患者だとなにか勘違いしてストーカーみたいに真夜中に自宅まで押し掛けられたりする。

 大変な仕事でしたよ。勤務時間も長くてブラック企業なみでしたからね。そこへ行くとパチンコも土方労働者の仕事と変わりはないが、一日八時間もやればいい。場合によっては二、三時間で切り上げることもある」

 しかし、と第九は考えた。会社を辞めた直後は一日中やることのない時間を持て余して、ときどきパチンコ屋に脚を運んだことがある。パチンコ台の前に八時間も座って打ち続けるなんてやったことがなかったが、あの騒音の中でやっていたら頭がおかしくなるのではないか。そんなわけですぐにパチンコ屋に行かなくなったのである。

 

24:橘さんの脱サラ経歴(一)

 しかし、橘さんは最初はお医者さん志望だったんでしょう?と第九は聞いた。

「私の希望ではないのです。親父が産婦人科の開業医でしてね。私に病院を継がせようとしたんです。命令でしたね。それにね、私もスケベエだったから産婦人科なら面白そうだと考えたんです。女性の性器を毎日見られるんですからね」

「それがどうして精神科に変更したんですか。お父さんもがっかりしたでしょうに」と禿頭が呟いた。

 「最初は産婦人科志望だったんですよ。ところがインターンに行ってショックを受けましてね。きれいなビーナスのような性器が毎日見られると思っていたのが大間違いでした。当たり前の話ですよ。患者なんですから、きれいだなんてことは無い。これはどの部位の病気にも言えることだが、病人の体というのは汚物ですよ。だから医者の所に来る。

医者というのは汚物処理係です。金になるから医者になるだけの話です。もっとも中には高潔な人もいますがね。私の親戚にもそういう人がいましたね。彼は治りそうもない難病を直した時に喜びは最高だと言っていましたね」

 「彼は開業医だったんですか」

「いやいや」と橘さんは手を振って否定した。「難しい患者がくると、町医者は医療事故を恐れて大学病院に回します。その親戚も卒業以来ずーっと大学勤務でね。とうとう医学部長にまでなりましたがね」

 「どうして産婦人科のインターンで嫌気がさしたんですか」

「嫌気をさしたくらいならいいんですがね」と橘さんは言った。「患者の前で吐いてしまったんですよ」

「誰がですか」

「私がですよ。患者の腹部に水か体液がたまっていたんですね。それが噴出してきてもろに頭からかぶってしまいました。むっとこみ上げてきて、げろってしまいましてね。それでね、君は医者には向いていないと先生に引導を渡されました」

 「そりゃあ」と下駄顔が言ったが何といっていいか分からない。まさかそれはとんだ災難でしたね、ともいえまい。その当時のことを思い出したのか、橘氏は黙り込んでしまった。

それでどうしました、と第九がうながすようにたずねると、親父には無断で転部しましたと答えた。

「どの科にいっても程度の差はあれ私には患者は扱えないとおもいましてね」というと彼は興味津々に自分を見つめている聞き手の顔を見回した。

 「どこへ転部したんです」

「文学部に転籍したんです」

「それはまた思い切ったことをしましたね。法学部とか経済学部ならまだつぶしが聞くが文学部ではね。それで何を専攻したんですか」

彼は恥ずかしそうに小さな声で言った。西洋哲学です、と。

「それはずいぶん思い切ったことを。お父さんはご機嫌が悪かったでしょう」

「激怒しましてね。家を追い出されました」

 「それでまた医者になったんでしょう。その辺も面白い事情がありそうだ」と銀色のクルーケースを持った客が割り込んできた。「精神科というと汚物である患部を見なくていいからですか。考え方によれば精神科の患者のほうがもっと怖いような気もするな」

 

25:橘さんの遍歴(二) 

 新入りの橘氏がしゃべくりまくるので、一座では爆笑の連続であった。この静かなスタッグ・カフェでは異例なことである。他の客もびっくりして何事だろうとこちらを見ている。自分の話が受けたのに気をよくした橘氏はますます話に熱が入って、もともとの赤ら顔が興奮で高潮して暗紅色に変わっている。両手を振り回しながら熱弁をふるっている。

 とうとう女主人まで来て「面白そうな話ね。私も聞かしてもらえますか」と言った。

「ちょっときわどい話もあって危ないかな」と銀色のクルーケースの男がいったら、橘氏が新しい聴講者を得て張り切ったのか「いや危ないところはさっきで終わりですから、つまらない話ですがお暇だったら聞いてください」と答えた。

 それで、どうして哲学を選んだんですか、と第九が誘導質問をした。

「それがね、理由なんてありゃしません。大体が飽きっぽいたちでね、医者も嫌になったし、全然関係のない正反対のことをしたいと思ったのです。それで哲学を思いついたんですね」

「哲学もとんだ人に見込まれましたな」と下駄顔が半畳を入れた。

「まったく、そうかもしれません」というと橘氏は喉が渇いていたのだろう、テーブルの上にあるグラスからお冷を一気に飲み込んだ。あまりに顔面に血が上がっているので脳溢血にでもならなければいいが、と第九は思った。

 橘氏は猫が絞殺されたような変な音をだして苦しそうに水を飲みこむとしばらく目を白黒させて息もできないようだった。ようやく落ち着くと、「哲学科に入ってようやくほっとしたんでしょうね。しばらくは授業にも出ず、まったくぶらぶらしていましたね」

 「それじゃ哲学もやめて退学したんですか」と女主人が先回りして心配そうに聞いた。

「そうですね、やめようかとも思ったんですけどね。一応卒論だけは書いておこうかと思いました」

「テーマは何だったんですか」

「先生が与えてくれたのはプラトンとアリストテレスの自然哲学という題でしてね」

「それで書けたんですか」と禿頭が心配そうに失礼な質問をした。

「一応どうにかね」

「よかったですね」と女主人は自分のことのように安心したように言った。

「それがね、バカに先生の気に入ったようなんですよ。どこがどう評価されたのかわかりませんがね。それで大学院に残らないか、と打診されたんです」

 彼はウェイトレスが継ぎ足したコップの水をまた一気に飲み干した。唇の残った水を右手の甲で拭うと

「ところがね、すべて順調にいかないのが私の人生でしてね。しばらく前から同棲していた女性が妊娠しましてね。どうしても生むというんですよ。そうなるといろいろ生活費もかさむし大学院の学費なんかも払えるわけがない」

 「そりゃあ大変だ」と言ったのは病院から検査サンプルを集めて回る若い男である。

「そりゃあ面白そうだ」と無遠慮に言ったのは下駄顔である。「でどう始末をつけました」

「先生には悪かったけど大学院に行くのは断りました。彼女がいうにはしばらくは彼女が勤務を続けて生活を支えるから、もう一度医者の勉強をして医者になってくれというのです。それまでは彼女が働くというのです」

「しかし妊娠しているのでしょう」

「彼女は結構いい会社に勤めていましてね。産休もあるし、出産後も務められるというのです。私が医者の免許を取るまでは働くというのです」

「泣かせるね」とこれは禿頭老人。

 

26:精神医学と哲学の接点

 「プラトンというとソクラテスを主人公とした対話篇を書いた人でしょう。『弁明』とか、むかし一、二冊文庫で読みましたよ。もっともほとんどタイトルは勿論、内容も忘れましたが」と第九が呟いた。「自然哲学と言うと、現在で言うと物理学みたいなものなんですか。あんまりそんな議論はなかったようだが」と彼は記憶をたどりながら訊いた。「人はどう生きるべきか、とか倫理的な話だったな」

 「そうなんですね、しかしね、倫理学とか道徳なんかを言いだしたのはソクラテスが初めてなんですよ。それまでもいわゆる『ソクラテス以前の哲学者』、イオニア学派とかね、沢山いたんですが、世界は何で出来ているかとか、宇宙はどういう元素で構成されているかということを論じていたわけです。現代で言えば理論物理学ですよね。デモクリトスの原子論なんて言うのは知っているでしょう。思弁的ですがね。だからプラトンもそういう先人たちの議論を批判的に論じているんです」

 「それも対話篇なんですか」

「ええ、もっとも集中的に論じているのはティマイオスという対話篇なんですがね」

「聞いたことがないな。本屋でも見かけませんね。もっとも私は文庫の棚しか見ないけど」

「そうでしょう。あまり聞いたこともない本でしょうね。ほかにも文庫本であるものでは『国家』とか『法律』や『パイドン』なんかに出ていますが部分的な記述です」

「へえ、『国家』なんてよく見かけるな。読んだことは無いけど、タイトルからして政治論か政治倫理の話かと思っていた」

「その通りなんですけどね。プラトンは長大な対話篇の中にごった煮的にいろいろな議論を紛れ込ましているんですね。よほど注意して読まないと読み飛ばしてしまうでしょう」

 女主人はいささか議論に退屈したようだった。レジにいた若い女性を呼んだ。「長南さん、いらっしゃいよ、ギリシャ哲学の話よ」

アルバイトらしいその女性はまだ二十代の初めらしい。女主人が紹介した。「彼女は大学で哲学を専攻しているの。そうよね。いまこちらの方がギリシャ哲学の話をしていらっしゃるのよ。勉強になるからお聞きなさいよ」といった。

 橘氏は哲学専攻の大学生と聞いて一瞬身構えたように見えた。ちょっと心配そうな顔をした。なんとなく落ち着きを失ったようだった。彼女が席に座ると、第九が口を開いた。「アリストテレスには『自然学』という大著があるらしいけど、あれも自然哲学になるのですか」「そうですね」

下駄顔が追い打ちをかけるように疑問を呈した。「古代のギリシャのそういう思弁が現代にも参考になるようなことがあるんですかね」

 はははは、と橘氏は照れ臭そうに笑ってごまかした。「ないともいえない、というのが面白いところで」と言うと演じるまえに水を口に含んだ。

「プラトンは古代、中世の思想界を支配しました。12世紀になると欧州にはまったく伝わらなかったアリストテレスの思想がアラビア経由でなだれ込んできてアリストテレス一色になった。その流れを変えたのがルネッサンスです。後期ルネッサンスですが。プラトンやアリストテレスが否定されてソクラテス以前の自然哲学者が復権したんです。代表的なのはデモクリトスやレウキッポスの原子論です。17世紀の科学革命はデモクリトス思想の復活ですよ」

 プラトンはどうなりました、と禿頭が聞いた。「倫理学やイデア論の分野では相変わらず影響力は続いていますね。自然哲学のほうでは完全にぽしゃったんですか」

「それが面白いことに、二十世紀になると例えば量子力学の創始者のひとりであるノーベル物理学賞受賞者のハイゼンベルグなんかは『ティマイオス』の幾何学的原子論に興味を示している」

「復活しそうですか」

「さあ、そこまでは分かりませんがね。いずれにせよ、理論物理学なんて最先端では形而上学になりますからね。ようするに考え方ですから。ところでメタフィジックスを形而上学と翻訳するのは間違いでしょうね。メタ(上のほう、奥のほう)、フィジックス(物理学)だから、翻訳するなら第一あるいは基礎物理学とすべきです」

  

27:哲学は諸学の召使 

 ところで、と第九が口を開いた。「また医者に戻ったというのは分かるんですよ。生活のためというわかりやすい理由だから。彼女や子供にも食わせないといけないのは分かるのですが、どうして精神科を選んだかが知りたい。患者の体に触らなくてもいいからですか」

 橘氏は意地悪な質問をする人だなと困ったような顔をした。返事のしようがないというような表情を見せた。「私はね、人生の節目で理屈をつけて選択するなんてことはなかったですね」とまず煙幕を張った。「動機無き殺人、おっと間違えた。危ない危ない。動機無き選択かな」と答えた。

「神様みたいですね」と若き女性哲学徒の長南さんが要約した。橘氏は眼をすぼめて端整な透き通るような象牙色の肌をした彼女の顔を見た。「そうなんですね、充足理由率の第何律だったかな」

「ライプニッツですね。人間のやることにはすべて動機があるという」

「そうそう、自然現象には先行する原因があるみたいにね。しかし、人間の行動には動機があると充足理由率を拡張したのはショウペンハウアーでしたかね」

「それがまったくないんですか」と自分の注釈にコメントをつけられた長南さんが切り口上で浴びせかけた。

 橘さんはおちょぼ口のわりには分厚い唇を舌を出して舐めた。「あなたの厳しい糾弾に窮してお答えするとですな、多少は勉強した哲学と学際的な関係にあるのは精神医学なんですな。無意識にそういうところを考えたのかもしれない。与しやすしと思ったんでしょう」

 第九が質問した。「学際的というのはどういうことですか」

「いや、一言答えをひねり出すと新しい糾弾が飛んできますね」と彼は頭をかいた。

「哲学は諸学の母という言葉がありますよね」

「聞いたことがないな」

「そうですか、最近は言わないでしょうね。私もね、何時頃できた表現だろうと思ってインターネットで調べたことがあります。ところが分からないんですね」

「大体どこの『ことわざ』なんだろう。案外日本あたりじゃないのかな」

「なるほど」と橘さんは膝を叩いた。「そうかもしれません。そうすると明治以降だね。昔は哲学なんて言葉はなかったから」

「ところで、そのことわざのココロは何なんです」

「昔は学問と言うと今でいう自然科学も社会科学も全部哲学者が請け負っていたわけですよ」

「そうらしいですね」

「それが近代になると分野ごとに新しい学問として独立していった。データ収集とか実験とか検証とか新しい手法でね」

「それでいろいろな学問をひりだしたというので諸学の母というんですね」

「ところが母子関係が問題でしてね」

「というと」

「捨て子じゃなくて捨て母なんですよ。母親なんてうざいと言って子供たちは母親を捨てて出て行った」

「へえ、面白いね」と下駄顔が感嘆したように言った。

長南さんはちょっと不安そうな顔になった。無理もない。

「ところがですよ」というと橘氏はみんなの顔を見回した。「例外があるんですね」

そこで橘氏は熟練した噺家が高座で寄席に来た客に気を持たせるように二秒間沈黙した。

 「なんだい」とじれたように禿頭が催促した。

「それがわが精神医学なんですよ。他の諸学と違って自分のほうから哲学にすり寄っていった」

 

28:三すくみ 

 第九が目をすぼめた。ぎろりと少し光ったようである。「それで哲学と精神医学はお互いに学際的な連携をしているのですね」

「まあ、そういうことです。簡単に言うと」

「しかし」と第九は疑問を口にした。「現在の哲学界と言うとスーパースターがいないようだが。体裁のいい言葉でいうと百家争鳴といいますかね。現代哲学の諸派のなかでもおのずから精神医学と仲良くなる流派があるんでしょうね」

「いいことをおっしゃる」と橘氏はさっき汚れた手を拭いたペーパーナプキンをテーブルから取り上げるt、くしゃくしゃになったナプキンを丁寧に広げて顔を丁寧に拭いだした。とくに鼻の横を入念に拭いている。

「ご指摘のように現代の哲学界は茶道かお花の世界のようでしてね。めいめいが勝手なことを唱えている。華道や日本舞踊の家元制度みたいなものですよ」

「するってと」と禿頭が口を挟んだ。「精神医学の世界も哲学の各家元と結託しているわけですな」

「結託というのは人聞きが悪いが実質はそうですな」と今度は手にまだ持っていた汚れた紙ナプキンで抜け上がった前頭部を二、三度叩いた。

「現象学的な哲学と連携している連中がいる。そもそもは前世紀のヤスパースなんかがそうですね。ヤスパースは自分自身も精神科医でした。精神病理学原論なんて著書もある。それから実存主義と親近性のある一派がある。驚いちゃいけませんが分析哲学と交流のある連中もいるのです」というと今度は紙ナプキンで耳の穴を掃除しだいたが、思い出したように言った。

 「おっと忘れちゃいけないのがフロイトの精神分析です」

「ああ、あの天一坊のような男ね」と下駄顔が注釈を入れた。

「天一坊とはひどいな」と橘さんはびっくりしたような顔をした。

「やはりアメリカに子分が多いんですか」

「なんていうのかな、心理療法プロパーとしてはアメリカに信者がおおい。しかし精神分析というのはフランスの哲学界と親近性が強いんですね」

妙なものですね、と第九が呟いた。そして思い出したように「あなたの関連業界では、業界と言っては失礼だが、心理療法とかサイコセラピストとかいうのがいるでしょう。あれも似たように同じような流派があるようですね」

橘氏は興味深そうに第九を見た。「よくご存じですね」

 「いや彼は心理療法士の手を煩わせたことがあるのさ」と下駄顔が説明した。

へえ、と橘氏が言うと、「実はね、パニック障害というのか、前にエレベーターの中で失神したことがあるんです。それで会社の命令で怪しげな心理療法士のカウンシルをしばらく受けたことがあります」と第九は橘氏の疑問に答えた。

 「ほう」

「そのときに胡散臭いことをされてはやばいと思って心理療法なるものを調べたんです。そうしたら、いまあなたのおっしゃったことと同じ状況があるということが分かったのです。つまり哲学、心理学のいろいろな流派によってまるっきり違う診断法や治療法があるということを知ったのです。

 

29:さらに言うと 

 生理学的にと言うか生物学的というか、そういうアプローチは精神医学では皆無なんですか、と第九が疑問を呈した。

「もちろんあります。しかしね、なかなか決め手がないんですね。脳に器質的な変化があるというケースは少ない。細菌とかウィールスが見つかるわけじゃない。癌みたいに器質的な変化が見つかるわけでもない。勿論脳腫瘍というのはありますよ。だけどこれは精神病ではない。ふわふわしていて原因が分からないから宗教に頼るように哲学に頼るような気持ちですり寄るんですな。だから決定的にこの流派が正しいという論拠は求めようとしてもできない。たまたまこの流派でやってみたらら症状がよくなった、それも複数回あったなんてなると、その流派が流行るわけです」

「なるほど、実際には精神分析でもフロイト一辺倒ではないし、ラカンとかユンクとが多数の流派がある。現象学といっても複数の流派があるしね」

「精神医学では薬物療法というのはあるんですか」と女主人が聞いた。

「もちろんあります。どうにも患者が始末に負えなくなるとやたらと薬物を投与する傾向がありますね」

「それは流派によって違うんですか」

「いや同じですよ。向精神薬とか鎮痛薬とかまるきり正反対の薬を投与する。すぐきかなくなるからどんどん薬量を増やして本当の廃人にしてしまう」

 橘氏の深刻な話に一座はシーンとしてしまった。その沈黙を破るように彼は言った。

「精神疾患は、最近は精神病と言うのは禁句のようだが、英語ではMental Disorderといいますね。Diseaseとは言わなくなった。日本語で言うと失調というのかな」

「統合失調症とか訳の分からないことを日本でも言うようになりましたね」と第九が言った。

 たとえですがね、と橘氏は続けた。「たとえだから文字通り受け取られると誤解されるかもしれないが、パソコンのトラブルに喩えるんですよ。Diseaseというのは部品がぶっ壊れた状態ですね。電源がいかれたとかコンデンサーが機能しなくなったとか、ディスプレイが壊れたとかね」と言うとグラスの水を口に含んだ。

「Disorderというのはハード的に正常でもオペレイションがスタッグする場合かな」

「どういうことですか」と長南さんが反問した。

橘氏は眼をすぼめて彼女をみた。

「立ち上げる場合に一番多いが、途中で動かなくなることがあるでしょう。先月買い替えたばかりなのにもう壊れたと青くなってメーカーのサポートに電話すると、まず勧められるのが、電源を切ってもう一度やり直してくださいというと思います。それで言われたとおりにやると今度は最後まで通る。通らない場合はもう一、二度同じことをするとたいていの場合は正常に動くでしょう」

長南さんは橘氏の顔を睨みつけるようにして聞いている。きっと先月パソコンを買ったばかりなのだろう。かれは長南さんをちらっと見ると

 「起動する場合が一番多いが、作業中にも時々スタッグすることがある。間違えて別のところをクリックした場合とか、無遠慮に断りもなく広告が表示された場合なんかよくおこる。こういう場合にもう一つ前に戻ってやり直すと動き出す。それでもダメなら電源を落として最初からやり直すといい」

 「それはパソコンの欠陥でしょう。そういうことが頻発するのは」と下駄顔が訂正しようとした。

「diseaseというのですか、しかしハード的には問題ない。やり直せば通るから。こういうのをまあdisorderとしますかね。パソコンの場合はリセットするか、やり直せばいいが、人間の場合はそうもいかない。電源を落としたりリセットするというのは『殺す』ということですからね」橘氏はどうだ、分かったかと言うようにみんなを見返した。

禿頭が聞いた。「電気ショックというのがあるらしいが、あれはリセットの一種じゃないのか」

「ごく軽い疑似リセットですね。きく場合も少しはある。本当のリセットではないから」

 しかし、と第九は吹っ切れないように「どうして頻繁にパソコンはスタッグするんだろう。昔はそんなことは少なかったような気がする」

「いや、いい疑問ですね。夏目さんがパソコンを始めた時のOSのバージョンは何でした。Winがきdow95あたりかな」

「まさか、もう少し後ですよ。そうするとOSの責任なんですか」

「そのとおり、がきユーザーにおもねって、チカチカドンドンの必要もないソフトを詰め込むからですよ

「それがどうしてパソコンが頻繁に動かなくなる理由なんですか」

「パソコンのリソースを一番食うのはゲームとか音響、映像処理なんですね」

「ああ、チカチカドンドン・ソフトというのはそういうことなのね」

「ハードや集積回路の能力がそれに追いついていけばまだいいのだが、実態はハードが過重なタスクに耐えられなくなっているのです」

 

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