穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

パラレル・ワールド

2014-01-19 07:29:14 | 書評

相変わらず「風と共に去りぬ」第三部の途中だ。

マーガレット・ミチェルの迫真の筆致は太平洋戦争当時の「追体験」をしているようだ。そしてそれは子供時代に聞いた当時の雰囲気をまるで「再体験」している思いがする。

「勝ってくるぞと勇ましく、歓呼の声に送られて」出征していく若い兵士たち。緒戦の勝利の報に酔ったように高揚する世間の雰囲気、その後の戦況に一喜一憂、そのうちに次々と肉親の戦死の報告が届く。

「ああよかった。うちの子供じゃなかった」という気持ち。そのうちにも自分のところに戦死の電報が届く。四人の息子を出している家庭で全員が戦死する家庭もある。息子の安否を確かめるために、電報局、新聞社の前を離れない母親。

「次の決戦に勝利すれば戦局は一変する」と言い合う婦人たち。まるで当時の日本だ。

綿花の輸出に頼る南部は経済封鎖で極端な窮乏生活に見舞われる。作者が女性だし、小説は十代の女性スカーレット・オハラの視点で描かれるから圧倒的に衣服の欠乏についての記述が多い。食事の話はあまりない。もともと農業しかない南部だからある程度自給自足できたのだろう。

それでも軍部が兵士のために次から次へ食料を徴発していく。コーヒーはあそこではできないらしく、トウモロコシを焼いた粉を代用にしたとある。これも戦中、終戦直後の日本と同じだ。

衣服の欠乏の記述は多い。ヘアピンが無くなってしまう。替えのボタンも南部では作るところがないらしく、どんぐりに穴をあけて糸を通してレディのボタンにしたなんて記述もある。

それから靴も作れなかったらしい。特に兵士に送るにも作れないから兵士は靴が破れてはけなくなると、はだしで雪の中を行軍する。北軍の戦死者からはぎ取った足に合わない靴をはく。足に布をまいて靴の代わりにする。兵士から家族への手紙で靴を送ってくれというのが多い。日本軍はここまではいかなかったようだ。

つづく