穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

総力戦を描く「風と共に去りぬ」

2014-01-16 21:45:22 | 書評

総力戦という言葉は第一次大戦ではじめて使われたと記憶しているが、実態としては南北戦争は近代戦としては最初の総力戦といえるようだ。

戦死者の数がアメリカの歴史上桁違いに多い。4年間にわたる戦争で死者62万人という。第二次世界大戦で対独戦で米軍の死者は16万人、対日戦で11万人であることにくらべても突出している。

第一次世界大戦では戦死者は1600万人と言われているが、アメリカは遅れて参戦したこともあり、戦死者は12万人という。冷戦下の朝鮮戦争、ベトナム戦争が夫々5万人弱、イラク戦争が3万人だそうだ。

主としてWikipediaの数字だが戦死者の数には出典いよってばらつきがある。行方不明者のカウントによって差が出るようだ。激戦地ほど、行方不明者の数は増えるわけだ。

また戦死者の大半が戦病死であるということも南北戦争の特徴だ。戦闘による死亡より、補給路を断たれた劣悪な医療環境、食糧不足、軍需物資の欠乏による疫病、戦傷がその後の死亡につながることが多かった。あまり書評と関係のないことをつづったが、このような背景をしることが「風と共に去りぬ」のさまざまな描写を理解する助けになる。

海上の補給路を断つ北軍の作戦がこのようなボディブローとして南部諸州を真綿で締めるように効いてくる。ちなみに太平洋戦争の日本軍でも戦闘以外の死者のほうが多かったが、理由は南軍と同じで海上封鎖で食料の補給や軍需物資の補充ができなくなったためである。

南部は綿花を売ってすべての必需品、嗜好品を欧州あるいは北部から購入するという単純経済だったから、補給路を断たれると、綿花は売れなくなるし、たとえば婦人の着るものはたちまちなくなってしまう。ここにレット・バトラーというバッドボーイが現れる。北軍にわいろを使ったりして補給封鎖破りをして南部に商品を持ち込む闇商人である。

これがスカーレットとにらみ合い、ひきつけあうという構図なんだな。この辺は有名だから解説の必要もないが。封鎖破りという言葉を理解すればもっと興趣が増すというものである。


その辺の事情を知っていると、小説の各場面が生き生きとして迫ってくる。


「風とともに去りぬ」

2014-01-16 11:18:10 | 書評

第三部途中まで読んでいる。映画で見たときにも印象が強かったが、小説のほうがはるかに迫力がある。

スカーレット・オハラが主人公なのだが、南北戦争の推移が、戦争が銃後の南部に与える影響が印象的だ。ときどきトルストイの戦争と平和と比較されるが、歴史小説の範疇に入るだろう。

「戦争と平和」がシリアス・ノベルとすれば、これもそうかもしれないが、より一般小説(そんな言葉があるかどうか知らないが)的、通俗小説といえるかもしれない。「レミゼラブル」が通俗小説と言われるならこれも通俗小説である。

もちろん、銃後の社会を活写できているのはスカーレットという女性の一典型の見事な創出によるところが大きい。

大戦争を扱った歴史小説は腐るほどあるし、有名なのが多いのも事実だが、「風と共に去りぬ」は抜きんでている。これをよむと司馬遼太郎なんて「小説」だな、と思う。小さな説ね。

銃後のアトランタ社会の描写は太平洋戦争当時の日本の内地事情をほうふつとさせる。それが身につまされるようなリアルな感じを与える。

私はそれらを身をもって体験したわけではないが、まだ戦争を生き抜いた世代に取り囲まれてそだったから、口づてに一次情報に取り囲まれていたので、この小説を読みながらそのころの社会を思い出した。